タイプ6日本の負けパターン

明日以降に書くネタが無くなりそうですけど、終戦記念日のうちにこの話題を書きます。

映画監督、伊丹万作(伊丹十三の父親)の言葉に、

 さて、多くの人が、今度の戦争(=第二次世界大戦)でだまされていたという。みながみな口を揃えてだまされていたという。私の知つている範囲ではおれがだましたのだといつた人間はまだ一人もいない。

 だまされたということは、不正者による被害を意味するが、しかしだまされたものは正しいとは、古来いかなる辞書にも決して書いてはないのである。だまされたとさえいえば、一切の責任から解放され、無条件で正義派になれるように勘ちがいしている人は、もう一度よく顔を洗い直さなければならぬ。

 しかも、だまされたもの必ずしも正しくないことを指摘するだけにとどまらず、私はさらに進んで、「だまされるということ自体がすでに一つの悪である」ことを主張したいのである。

 そしてだまされたものの罪は、ただ単にだまされたという事実そのものの中にあるのではなく、あんなにも造作なくだまされるほど批判力を失い、思考力を失い、信念を失い、家畜的な盲従に自己の一切をゆだねるようになつてしまつていた国民全体の文化的無気力、無自覚、無反省、無責任などが悪の本体なのである。

「だまされていた」という一語の持つ便利な効果におぼれて、一切の責任から解放された気でいる多くの人々の安易きわまる態度を見るとき、私は日本国民の将来に対して暗澹たる不安を感ぜざるを得ない。


「だまされていた」といつて平気でいられる国民なら、おそらく今後も何度でもだまされるだろう。いや、現在でもすでに別のうそによつてだまされ始めているにちがいないのである。

というのがあって、
以前に『ちょっとだけ気になる「~された」という言葉』などで引用していて、
「だまされるということ自体がすでに一つの悪である」
「思考力を失い、信念を失い、家畜的な盲従に自己の一切をゆだねるようになつてしまつていた国民全体の文化的無気力、無自覚、無反省、無責任などが悪の本体なのである」
だなんて、ハンナ・アーレントの言うところの『凡庸な悪』と一緒では? なんて意味のこと書いていたのですけど。

他にもnote内で検索してみると、多数のかたが、この言葉を引用した文章を書いているようです。

一例↓


余計なことを書くと、誰がnoteで一番始めに伊丹万作のこの言葉を引用した文章を書いたのか調べようとしたのですが、ブラウザのせいか検索結果の114件全てが表示されないので諦めました。私、結構早い時期に取り上げたつもりでいるのですが・・・。
話を戻します。

まあ、日本はエニアグラムのタイプ6で安心・安全・安定を欲しがるから、
自分の安心・安全を守るための「だまされた」なんだろうな。と思っていました。

だから、新型コロナの中の2021年のオリンピックの開催は「だまされた」ものとして、手のひらを返して皆反対するのだろうと予想していました。アンケートでは「オリンピック中止」を選ぶ人も多くいましたし。いろいろ問題も起きていましたから。
ところが直前7月の東京都議会選挙では、民意として明確な反対は示されませんでした。

ストレスがかかった状態で、タイプ6日本人は判断と決断を避けました。

エニアグラムのタイプ6は、依存体質で、精神レベルが下がるほど、自らの判断や決断ができなくなる性格タイプです。
ただし、ここまで判断と決断を避けるとは、私の予想外でした。

いや以前読んでいた文章から予想できてもよい話ではありました。
『サイレント・マジョリティ その罪と罰 - 元銀座のママと元小学校教師がPTA会長になって、ブラックPTAの改革に挑んでみた。』

不安を煽られ、考えることを止めた人が
どんどん扇動されていき、止められない流れになる。
そして多くの保護者は
サイレント・マジョリティと化し
「誰かがどうにかしてくれる」
と議決することすら放棄し、棄権という思考停止に逃げ込み
結果的には、半数以上の世帯が棄権という状況になりました。

これが日本の現実なのだと、まざまざと見せつけられた瞬間でした。

と同じことが今回のオリンピックを前にした選挙で起きていたのだと思います。

そうかタイプ6はストレスにさらされると、棄権という思考停止に逃げ込むのか・・・。
理解が浅かった。

・・・ということは、戦後、状況が変わった後に「だまされた」なんて言っていますが、
実際の戦時下では、たとえ真実を知らされようとも判断と決断を避けて、政府についていったのでは?と思い始めています。思考停止で。
「アメリカは強い」「日本は負ける」「新型爆弾投下の可能性も」という情報が流れたとしても、「進め一億火の玉だ」の大きな流れは変わらなったのだろうな。と思い始めています。
なんなら、そのような現状を否定する情報を言う人が非難・攻撃されたことも、今の日本を見ていると容易く想像できるようにまでなってしまいました。

時が過ぎれば、「あそこでなぜ判断をしなかったのか」「あれが歴史の分かれ目だったよね」という分岐点で今の日本人は、舵を切ることなく、真っ直ぐに進んでいくのだろうな。判断ができないまま事なかれ主義で現状維持で、誰も火中の栗を拾うことなく、思考停止で、対応していくのだろうな。と思っています。

これがタイプ6日本の負けパターンなのでしょう。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?