タイプ6日本人は「不断」を求めているのではないだろうか?

エニアグラムのタイプ6な日本人は「決断」ができない、と書いてきているが、
「決断」ができない、というより、より積極的に「不断」を求めているように思う。

それは、「決断」によって混沌がもたらされるのが怖いから。
それよりは今ある日常の延長が続く「不断」を求める。
だから、いろいろ変えることには忌避感を抱く。
それは各々の立場において混沌が起こることを嫌い。自分だけの利益のために「不断」を選び「不断」を望む。

こういった態度は、国民であれば野党に対する忌避感にもつながるし、その一方で自民が進めようとしている改憲だって今 特に不都合が無いから変える必要は無いと思っている。
与党支持もそのままの「不断」でよければ、改憲に対しても「不断」で良いと思っている。

つまり今ある日常が変わってしまうことを嫌っている。なるべく混沌を起こさないようにしたい。
だから政治家にも所属する組織にも、これといって「決断」は求めていない。それよりは「不断」を求めている。

「決断」する場合は、絶対的正解を求めている。失敗は絶対絶対に許されない。

それで何か「決断」が必要なときは、二進にっち三進さっちも行かなくなって、皆しかたないという空気感が出た後に「改革まったなし!」「日本も乗り遅れるな!」みたいな掛け声とともに行われることになる。そういった皆の同意が取れたような、根回しが出来上がった状態になって初めて次に進める。

リソ&ハドソンのタイプ6の段階4に、
「段階4では、より健全な<段階>にいるタイプ6に見られる自己への信頼は消え始めており」
「通常のタイプ6は、自分自身で決定を下さずに」「総意によて運営するようになりがちである」
と書かれている。

ここで言う「総意」の現れ方のひとつに日本の「空気感」がある。

皆の同意無し、総意無しの「決断」をタイプ6な日本人は嫌がる。それが上の者であれ下の者であれ、どの立場であれ、突っ走しられては困る。それよりは「不断」のほうを求めているように見える。

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