なんとなく今さら共産党の話
なんとなく共産党のことを書く。
今まで思っていて書かなかったことがある。
それは、共産党のあの騒動を見て、私は小田嶋隆の「従軍いやん婦」騒動を思い出していたということ。
小田嶋隆のあの話を蒸し返すつもりはないが、あのとき小田嶋に苦言を呈していたのは小田嶋ファンの人々だったと思う。
それで共産党の騒動の発端は内部の人だったし、それで苦言を呈していたメディアや人々も、別に反共産党でもなかった。ある程度共産党を支持していた人も入っていたと見ている。
というわけで、共産党のあの騒動と小田嶋隆の「従軍いやん婦」騒動が重なって見えていた。
それで共産党の対応はと言えば、それらを「攻撃」ととらえて排除していった。
日本はエニアグラムのタイプ6の国で、リソ&ハドソンによれば、
とあるように、健全なタイプ6社会の共産党員であれば、自分が所属する集団をメンテナスすべく「怖れずに疑問を提起する」。
それを今の共産党は「攻撃」だととらえている。
同じくリソ&ハドソンのタイプ6の説明にはこういうものがある。
本当に今の共産党は、「誰かが彼らの信念に異議を唱えれば、自分の生き方そのものへの攻撃とみなす」となっている。
ちなみに、この「良くも悪くも私の国(権威、指導者、信念)だ」というのは共産党に限らない。
だから共産党だけ叩くつもりもない。
騒動になったので悪目立ちしているとは思っている。
これらは、作家(現代中国文学者・作家・日中翻訳家)の劉燕子 (りゅう・えんし/リュウ・イェンズ)さんの話に通じるとも思っている。
「日本版の言論統制」が共産党において可視化されたということだ。「ムラの理屈にフルパッケージで従わないと、ものを言わせてもらえないんです」。それが今の共産党。
劉燕子さんの話を読めば分かる通り、これは何も共産党に限らないのだけど。
ただ始めのほうで書いた通り、共産党に苦言を呈していた人々を見ると、共産党に対して悪意や敵意の無い人もいて、そういった人々の言葉さえ、「自分の生き方そのものへの攻撃」と見なし、「他者を『自分に従う』人と『自分に逆らう』人とに厳密に分け」て敵を増やしていっている。
ここで敵を増やしていってると書いたが、見方を変えれば票を逃がしていっている。味方を失っていっている。
自分の性格に食われて、自分を追い込んでいっている。
渦中にあるとそういうことも分からなくなってしまうのだろうか。
リソ&ハドソンは
“通常の段階→不健全な段階”に移行する際に起きるサインとして、「警告信号となる恐れ」を記述している。
タイプ6のそれは、
まさに今の共産党がそうなりかけていることが分かる。
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