医学部人気を問題にする記事から思ったこと

『数学も英語もデキる優秀人材の無駄遣い…日本経済をダメにしている「高すぎる医学部人気」という大問題 八幡 和郎 徳島文理大学教授、評論家|president.jp

「医学部の偏差値を他の理工系学部並みにできたら、日本経済のさまざまな問題はだいたい片付くし、医療の質も改善する」と、私は昭和の終わりごろから主張し続けている。

理系の優秀な人材が医学部に流れ過ぎているのも問題だ。

週刊誌の受験特集での高校のランキングも、「東大・京大・医学部」となりつつあるが、昔からこうだったわけでない。私の父は終戦直後の京都大学医学部卒だが、昭和30年代までは、理学部の方が医学部より最低点が高かったと話していた。

いまの世界で最も優秀な若者が必要なのはIT、先端産業、金融工学などであり、アメリカでも中国でもそうした業種に野心的に向かっているのに、日本の優秀な若者が目指す職業が安全・有利な医師では、国の未来は真っ暗だ。

アメリカは成功と称賛を追い続けるエニアグラムのタイプ3の国です。
ですから、今一番成長しそうな分野、自分が一番成功しそうな分野に人が流れるのでしょう。

中国は、エニアグラムと離れたことを書けば、金儲けに感心がある人が一定数いるようです。そのようなわけで、金儲けになる仕事を求めるのでしょう。中国人の奥さんをもらった人(記憶ではカナダのユダヤ人なのですが、あやふやな記憶です)が、奥さんの親族に勝手に今の職業を変えられた。自分がやりたい仕事ではなく、もっと儲かる仕事に就くことを求められた。という話があったように思います。

そういった動機が今現在 “たまたま” うまく時代と噛み合っているのだと思っています。

日本は安心・安全・安定が大切なエニアグラムのタイプ6の国です。
当然、安定志向で医師になる人も多いのだと思います。
また、最近、ネットで医師を辞めてグーグルに就職した人の話もありました。優秀な人が医師を辞めても、(大きな企業という意味において)安定志向は変わらないわけです。
ちなみに、
昭和30年代までは、理学部の方が医学部より最低点が高かったのは、高度成長期の日本では、右肩上がりでやることが決まっていて、安心・安全・安定が確保されていたからだと思います。

ここで、
『SEは死滅する』(木村岳史)
に書かれていたことを、またもや引用します。

 以前、米国に住む技術者(米国人ではなかったと思う)に「超優秀な若者がグーグルなどの米国ベンダーに就職してしまうので、日本の将来が心配だ」と話した時のこと。その技術者も「本当か。確かに日本はヤバイかもしれないぞ」と全面同意してくれた。
 だが、どうも話がかみ合わない気がする。私は「超優秀な若者が日本を去る」ことを問題視しているのだが、その技術者はなぜかスルーする。最初は私のあまりに劣悪な英語力から来るコミュニケーションギャップのせいかと思ったのだが、どうもそうではないらしい。そして次の一言でようやく分かった「日本の最も優秀な若者はなぜ、そんな退屈な大手ベンダーに就職するのか」
 そんなに優勝なら、なぜ自ら起業しないのか?一番優秀な若者でさえ、そんなに保守的なのか?

保守的なんですよ。安定志向なんですよ。
だから、
医学部の偏差値を他の理工系学部並みにできたら、日本経済のさまざまな問題が片付くわけではないのですよ。

その上で私は、簡単には日本の問題は片付くわけではなくとも、
優秀な人たちの配置をばらけさせることは大切だとは思っています。

以下またしても、他人のふんどしを借りて説明していきます。

2022年のイグノーベル経済学賞を受賞した
「なぜ最も才能のある人ではなく、最も幸運な人が成功することが多いのかを数学的に説明したことについて」
という研究が話題になっていて面白かったので、土日を使って気合いで読みました。
日本語訳で要約してみます。

・従来、成功が「才能」などによって決定されている社会通説に触れた上で、「それでは運はどれほどの影響を与えるのか?」という問題を提起。
・その違和感の根源は、「才能」はガウス分布(画像左)するのに対して、富(論文内では成功と同義)はパレート(画像右)の法則に分布するから。


成功の確率を高める最善の戦略は、行動量、アイデア量、人生で関わる人数を増やすこと。
ここから、新しい試みをする際に一定の予算を準備している環境において「優秀そうに見えるアイデア」に全予算を割り振るのではなく、「全アイデア」に予算を均等に分配する方が好ましいという事がわかる。

ここに書かれているように、
「優秀そうに見えるアイデア」に全予算を割り振るのではなく、「全アイデア」に予算を均等に分配する方が好ましい
のであれば、それは、優秀な人の配置も同様で、
あらゆる職種領域に優秀な人が散っていることが好ましくはあるわけです(これは優秀な人以外も同様となります)。

ただ、これを理想としても、本人もその周りも社会でさえ、安心・安全・安定 志向なので、こういったことを提唱すると、いろいろ批判反論が返ってきそうではあります。

例えば、安倍襲撃殺害の山上容疑者は、進学校に行くほどの頭であったわけですが、大学に行けず、その後、資格取得もしたけど社会の下層であり続けたわけです。
これは人生のレールを外れたり、職を解雇されたり、椅子取りゲームから脱落すると、簡単には上昇(再チャレンジ含む)できないことを意味しています。
こういった現実がある以上、日本人の安心・安全・安定 志向が強まっても、その安心・安全・安定 志向の先に医学部や医者があったとしても、それはしかたないことだとも思ってしまうのです。





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