何かにつけて、思想と関連付けたがるイギリス
新聞の読書欄での、
作家の津村記久子さんの文章から
イアン•ゲートリー著『通勤の社会史』(黒川由美訳、太田出版)は、
自宅ではない場所で仕事をしている人の「なんでこんなこと(通勤)しなくてはならないのか?」に答えてくれる本だと思う。
(略)
あの忌まわしい通勤が、実は人間が働いて生きていく上での大きな発明であり、生まれた土地に縛られて地主に使われていた人々を解放する行為だったのだといろことがわかってくる。
確かに、生まれた場所にそのままいるしかなかったら、代々受け継がれてきた階級や家業が人生のすべてになってしまう。
19世紀のイギリスでは「(鉄道は、景観を破壊するものであると同時に)地主のもとで働いていた労働者に辛い仕事から逃げだすチャンスを与えて封建制度を破壊する」という糾弾があったそうだ。
以前、書いた、ダイソンの掃除機がイギリスで「紙パックを不要にする」という思想に結び付いて売れたように、
『考える人』のタイプ5のイギリスは、何かにつけて、そこに思想というか、思惑というか、
なんというか、とにかく、そこに、「(エニアグラム的な意味での)知」を見出すんですよね。
そんな感想をもった新聞の記事でした。
※ 知情意という言葉を使った場合、「知情意のエニアグラム」でまとめていきます。
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