日本人の交渉の癖


ただの限定的な一例に過ぎないけど
日本人と外国人の考え方・交渉術の違いについて思い出したことを書き殴ってく
大昔にやった村開拓ゲームの話なんだけど、たまたま知らない外人とすぐ隣に村を作っちゃったのね
で、その外人とは同じ同盟に所属していないから、基本的にいつでも攻撃できる敵同士なの

すぐ隣に敵がいると何がまずいかというと、まずお互いが戦うと近いからものすごく泥沼になる(お互い寝てる間に大損害を喰らうかもしれない)
あと、マップに配置されているブースト施設(取ると収入が上がる)の取り合いになる
なので近くには味方がいるほうが望ましく、隣に敵がいるとか最悪の状況

んで、相手からこう交渉されたのよ
「この近隣にはお前とかぶってるブースト施設が2個ある。俺はこれを両方欲しい」って。
その時点で大きな力の差は無かったから当然「いやそれは不公平だ。1個ずつ分けよう」って返したんだが、相手はどうにも納得しない。

ここで自分が突っ張るとお互いの同盟の関係が悪くなって自分の同盟に迷惑がかかるから、まわりの同盟員の指示のもとしぶしぶ譲って「じゃああなたがブースト施設2個取っていいよ、そのかわり平和にしよう」ってなったわけだ
ところがその後にとんでもない事が起こった

あろうことかその隣人は
「やっぱお前が隣にいるだけで邪魔だわ。お前他の土地に引っ越してくれん?じゃないと戦争するわ」
と恫喝してきた
これはさすがにありえない要求で、日本人同盟員はこれに対して全員ブチギレ
もうこんなやつと共存は絶対無理!ってことで当然後先考えずに戦争に突き進んだ

この流れ、日本の常識だったらごく一般的で仕方ない流れに思えるだろうし、相手が極めて強欲で失礼だったから引き起こされたトラブルで100%間違いないだろう。
でも外国人は違った。我々の同盟に所属している外国人でさえ、必ずしも我々に同意しなかった。

「お前相手の言いなりでブースト施設を譲ったんだろ?その時点で相手からしたらお前は弱いって思われたんだよ。こいつは弱いからゴリ押しすればもっと過激な要求も呑むだろうって思ってさらに要求するのは当たり前。向こうからしたらお前が突然逆切れしたのが意味わからないと思うよ」

味方である外国人にこれを言われて、まあ全く同意はしなかったんだけど、ここまで価値観が違うのかとハッとした
我々はこの状況だとまず「2個被ってるなら1個ずつ分けて仲良くしよう」って考えてしまうけど
彼らは”強い方が総取りして相手のケツの毛までむしるのが当然”と心の底から考えていたわけだ

つまり我々が初動をミスったわけで
我々が本来しなければいけなかったことは
「最初の時点で強気な要求をして簡単には引かないこと、そして自分を強く見せること」
この2つだったのだ
お互い引かなきゃすぐ戦争になるじゃんと思いがちだが、案外そうでもないらしいのだ

相手からすると戦争をする動機は
「勝てそうだから、弱いやつを排除したいから」であって
同じくらいの強さの険悪な隣人と牽制しあっていても、そう簡単に引き金は引いてこないのだ

だから実際こっちが逆切れして戦争を仕掛けた後、はじめて相手はほんの少しだけ譲歩しようとしてきた
まあ時すでに遅しだったけど
向こうからしたら「なんで強いはずの我々に噛みついてくるんだ?クレイジー!」という事だったんだろう
日本人は理解不能と思われたに違いないw

という、ゲームの世界で起こった話ではあるのだけれど
現実でもこれと同じことが言えるのではないか
今日本がウクライナのように侵略されていないのは「日本が攻めづらい場所にあって、それなりに強いと思われてるから」という事に尽きるのではないかと思った

(もちろんバックのアメリカの力も超絶重要ね)

https://twitter.com/hiro_tyun/status/1513629505373437953

これに呼応したツイート

チャーチルの日本人評から思い出したのは、
TTP交渉の場で甘利氏が「日本は米国の属国では無い!」と言ったという話があったこと。
そこまで強い言葉を使ったということは、たぶん、チャーチルの話と同様、その前にかなり譲歩しているんですよね。


では、この話題をまとめています。

まとめのタイトルには「日本は特殊」という言葉が入っています。

日本はタイプ6の国です。
そして、リソはタイプ6についてこう書いています。

最も理解しにくいタイプである。
多くの人が彼らについて言えることは、「好きになるのは簡単だが、理解するのはむずかしい」ということになる。

性格タイプ ドン・リチャード・リソ  2000年6月30日 春秋社


この本がアメリカで書かれていることを考えると、すくなくともアメリカ人としてはタイプ6的なものは「最も理解しにくい」のであろうな、と思います。本が英語で書かれているということは英語圏の大半で、この記述が共感される可能性もあります。


タイプ6以外にも、エニアグラムにはタイプ6的なものがあります。
エニアグラムには『本能のサブタイプ』という考えかたがあり、
この中に『社会型』というものがあります。
この『社会型』、欧米(アメリカのみかも)だと説明するのが大変だけど、日本人だと理解してくれるという話を聞いたことがあります。


【エニアグラム用語】本能のサブタイプ
「本能のサブタイプ」診断ページの紹介
診断ページの質問を読んでいくと、『本能のサブタイプ』の各タイプの輪郭が分かってくると思います。

日本は、世界の中では特殊に見られ少数派ということでしょう(多数派の中に入って安心したい日本人なのに・・)。
ただし、エニアグラムの9つの性格の内のひとつではあるわけです。エニアグラムの枠から出ているわけでは無い。そこまで特殊というわけでも無い。


元の話と関連して
ロシア語通訳の米原万里さんの話を『言葉を育てる 米原万里対談集』より紹介します。

日本人は交渉ごとでも、なるべく対立をぼかそうとする姿勢が強いですね。ロシア人も含めてヨーロッパ人は、中国、韓国人もそうですが、問題点を鮮明にしようとしますから、対談は対決で、それは一種のゲームなのです。ところが日本人は、人間関係までも壊れるのではないかと慮って、対決を避けよう、対決点をぼかそうとする答え方になる。だんだんまどろっこしくなって、相手は「通訳が下手だから通じてないのではないか」と誤解して、さらに攻撃的になってくる。


さらに関連して、浜松ホトニクスの晝馬輝夫ひるま てるお氏の話を、その著書より紹介します。

(略)日本政府とアメリカ政府の交渉事を見ると、アメリカは、最初はともかく「日本はけしからん」と無謀な主張をしてきます。
 すると日本政府は大慌てで、「向こうはカンカンに怒っているから、すこしは譲歩するか」と、手土産を持って行く。アメリカ側にすれば当然、「ほら見ろ、日本人というのは言えば引っ込むじゃないか」となる。
 アメリカ人同士でこれをやれば、おたがいに「てやんでえ、バカやろう」とひどいことを言い合い最終的には、よりひどいことを言ったほうが勝ちとなるのが普通です。しかし、日本人というのはそういう性質ではありません。


日本という国の(日本人の)、こういったことの自覚は必要だと思っています。



「日本、北京五輪に閣僚派遣見送りの可能性」で思っていること
「堪忍袋の緒が切れる」という言葉から思ったこと


2022/04/16追記
晝馬輝夫ひるま てるお氏の話の中にあった
アメリカ人同士でこれをやれば、おたがいに「てやんでえ、バカやろう」とひどいことを言い合うという部分を補足する話を紹介しておきます。

『「気配りの呪縛」がニッポンを滅ぼす(岡村 進 2014/7/23日 日経ビジネスオンライン)』より

私も、かつて日本企業のマネジメントとして、数多くの社員と面談していたときには、気配りの意義をとても大切に考えていた。威勢がよい血気盛んな後輩たちに、「大人になれよ」「人の気持ちに配慮しろよ」と迷わず助言したものだ。

この気配りの文化を愛おしく思いながらも、実はその気配りが呪縛となって、変化の時代に変化できない日本を作り上げてしまっているのではないかと、今は思うに至っている。20年間勤めた日本企業を離れ、グローバル企業の日本法人に転職してから、自分の常識が世界の非常識であることを痛いほど思い知らされた。

例えば外資の会議は、日本人、外国人を問わず、とにかく議論が激しいことに驚かされる。参加者がみな、言葉を選ばず、言いたいことをとことん言い、徹底的に議論しあうのがグローバル基準だ。よく言えば本音の対話だが、最初の頃は、ルールなき言葉の格闘技とすら感じた。

耐えかねて、気配り発言などしたら、あいつはポリティカルだと批判されたときは心底参った。ポリティカルというのは、私自身が、もっとも嫌うスタンスだったからだ。だから正直、馴染めなかった。私は日本企業の米国法人で社長も勤めていたから、それなりに海外通だと自負していたのだが、日本企業の外国法人には、日本の気配り文化のスパイスがかかっていて、かなり日本に適応していたようだ。グローバル企業の現場は、思っていたよりもはるかに泥臭くてシビアだった。

その激しいコミュニケーションの根底には、異なる価値観の人材が集まっている組織では、個々の思いを発散させないと澱みがでるという知恵があった。当時の私には、それが理解できていなかったのだと振り返る。



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