森問題で思ったこと。その2

ネットの匿名日記で森会長のことを、ことさら問題にする風潮に疑問を発している人がいて、
目が滑りながら読んだんで、ちゃんと読んでいるわけでもないのですけども。
ちょと思ったことを書きます。
前回に続き、森問題関連の話となります。


今回の問題で、思ったことは、それが海外メディアが火を付けたということ。海外のほうで騒ぎが大きくなったということ。
その混沌を受けて、日本のほうでも騒ぎになったのだと見ています。タイプ6日本は混沌に弱いので。それがストレスになったということです。
私は「海外メディアが問題視しなければ、これほどの騒ぎにもならなかった」という見方をしています。なぜって、タイプ6な日本には内発的道徳観なんて無いから。

それで、森批判は、この混沌の原因をお手軽に排除しようとしたというだけです。
多くの人にとって、その原因たる森会長が利害関係の無い他人であったことも、それを推し進める要因になっていると思います。

これが、先輩・上司・会社など自身と利害関係がある場合、それに対してアクションを取ると、自分の安心・安全・安定が崩れる危険性があるので、タイプ6日本人なら躊躇するでしょう。
今回の件では、そのような利害関係の無い人物だったから、簡単に問題にできたのだと思っています。

いっぽうで、利害関係のある人たちは黙っているわけです。その度合いが強いほどに。


ですから、今回の騒ぎは、適度に近く、また適度に遠い存在だったから騒ぎになれたわけです。
これが、ウイグル問題のように遠い問題にできてしまえば、騒がず(日本政府自体は逆に中国政府との利害関係があるので近くて騒がず)。
また、それが職場に関する問題であった場合にも、騒いでいない可能性があります(例えば「うちの会社も女性管理職を4割にせよ」との声は、これを機会にどれほど上がるのか…)(内発的に浄化されるならブラックな問題も、内部告発者が肩身の狭い思いをする問題も無いはずなんです)。


もう一つ思うことは、IOCが「森会長は謝罪した。この問題は終了と考える」としたので、騒ぎがおさまったら、混沌が消えるので、この問題がうやむやになってしまう可能性があるということです。

元々、海外メディアが起こした騒ぎからの混沌への拒否反応のひとつとしての、「あの人をどうにかしろ」であれば、その混沌がおさまれば、今の声も海外の反応に応じて小さくなると私は見ています。

「あの人にも困ったものだ。私は違うけど」の類の主張も、私から見れば、混沌という火の粉が身にかかるを避けている動きに見えてしまいます。

だから、もしも海外メディアの矛先が自分自身に向けられたと感じたら(「文化的な問題だ」とか、「日本の女性は何をしていた」「日本の男性は…」などなど)、かわそうかわそうとする動きがより鮮明になってくると見ています(今回はなさそうですが・・)。


今は、石を投げても、こちらに投げ返されない安心感から、歯止めが効かないような状況とも言えますが、
タイプ6日本の通常の状態において、内発的な動きが期待できない以上、
こういった形でも変化が起きるのであれば、それで良いとも思っています。つまり、物事は理想的には進まないと思っているわけです。

参考
森の叩かれぶりを見てるとアホらしいなあって(はてな匿名日記)

今回の騒ぎは、海外からの批判を「おそれ」ての反応だったのかも知れないと思っています。
「おそれ」で動くタイプ6
「おそれ」と日本

2021/02/10追記
この問題を自分事として真正面から受け止めている人もいるもよう

鈴木紗理奈

やっぱ、声を上げにくい状況、お世話になっているから言えないみたいな状況があって、
私は辞任すべきだと思っているんですね。
(略)
私のいる世界にも、どの世界にも森さんいらっしゃるんですよ。
(略)
たぶん女性だったら、生きてて感じてる、それぞれの世界で感じてるけど、でも今、実際、そういうかたたちが力を持ってて、そういうかたたちが積み上げてきたものの中で活躍させてもらったらものが言えないです。だから私、今日、掃かれるいきおいで来たんですけども。あのもし、私が掃かれたら、この後サンジャポでその後追ってもらいたんですけど。でもそれぐらいやっぱり昭和のかたの根付いた価値観というのは変わってなくて、そのかたたちが実際 今活躍しているというのも事実ですね。

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