知情意の人たちが、人をどう分けていくか?という話

文章を読んでいて、語り手が「敵味方」と書いていると、
その曖昧さにうんざりすることがあります。

それで今回は、エニアグラムの知情意のセンターから見た「敵味方」というか、「人の分け方」を書いてみます。

は分類感覚で分けています。
「あ~、野球で阪神好きな人とは話が合わないんだよね」
「へえ、君も同じ出身地なんだ」
「理系の人は理屈っぽくて嫌」
「あなたは、仏教?宗派は何?」
「んで、何大学何学部?」
「これを語るだけの資格はあるの?」
とう感じで、カテゴリー分け・グループ分けして違いを見ています。

は好き嫌い(あとは、ここでは語られませんが気持ちよさ心地よさ)です。
国籍?身分?学歴?どれも関係ありません。
ただ相手を「好きか」「嫌いか」です(実際の感情は(愛憎乱れたり)もっと複雑ですが、ここでは単純化しています)。
もう少し極論を言えば、相手が自分のことを何とも思っていなくても、自分が好きならば優遇することだってあります。

他には、情はイメージの人でもあるので、イメージを使って人を分けることもあります。
「感じの良い人」
「善良な一般人」
「かわいそうな助けなくてはならない人」
などです。

敵味方という分類があまり似合わない性格タイプでもあります。
相手を敵とした場合は、イメージとして語ります。
「あの人は悪魔だ!」
「あいつはテロリストだ!(証拠が無くともイメージとして)」
「人類の敵だ!」
「バカで、グズで、ノロマで、マヌケで、もうどうしようもないヤツだ」
などといった感じです。

はもっと具体的です。
個々人との結びつきといった感じです。
分類・好き嫌い関係無く、約束をしたら守ります(だから逆を言えば、意の人との約束は守らないと大変です)。味方と決めたら味方です。
タイプ8なんかは「側(がわ)感覚」が強いですね。「自分側か、そうで無いか」という感覚です。

今回は、エニアグラムの知情意のセンターから見た「敵味方」というか「人の分け方」の話を書いてみました。

※ 知情意という言葉を使った場合、「知情意のエニアグラム」でまとめていきます。

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