八木啓代、森友事件の一連のツイート

八木 啓代(やぎ のぶよ)さんの森友事件の一連のツイートを読みました。
https://twitter.com/nobuyoyagi/status/1484497272725712898

ツイートは33にも及び、その内容は、いくつかの項目に分かれるのですが、
その中から “私が” 気になった部分を引用すると、

本来、国有地を購入する場合、現金を一括払いするのが常識だ。

これは個人の家やマンションでも同様で、ローンを組むというのは、販売会社には銀行から一括で支払われ、その銀行に対しての借金を購入者は分割で支払っていくわけ。なのに森友の土地は、激安にしたうえさらに10年払いの分割払いという例外までも国が受け入れているのである。

なぜか。森友の経営状態が、銀行が超値引きされたあとの1億ちょっとのお金さえ貸してくれないほどひどかったからだ。

この契約書では、指定期間はこの土地を、売買・贈与・交換などはしてはならないとなっている。
その指定期間とは10年だった。

つまり、学校を作るという理由で破格の値段で購入したのに、10年後に「少子化で子供の数が減りました」と学校を閉鎖して、問題の土地を10億で売っぱらうというスゴイ錬金術が、やろうと思えば(やろうと思えば、ですよ)「合法的にできちゃう」契約書だったんである。

この契約書によると、一括払いでない以上、支払いが全部終わり契約が完了するのは10年後だ。

これは会計検査院も認めた。つまり「案件は終わっていない」のだから、文書を廃棄したなら、それだけで自動的に公用文書毀棄罪が成立する。もちろん、裁判になれば、そういう結論にならざるを得ない、ということだ。

というわけで、当会で佐川らを刑事告発することにしたわけだが、(略)問題は検察なのである。

これが裁判になれば、有罪判決が出るのは火を見るより明らかだ。それだけに、検察が握りつぶして不起訴にしてしまう可能性が高かった。
(略)

実は当会の告発状は完成度が高いので、通常、一週間以内、最短で翌日受理される。
ところが、今回は、これを一向に受理しない。一ヶ月経っても。二ヶ月経っても。
受理できないならできないで、どこに問題があるのか、なぜ受理しないのかを知らせなければならないのだが、それもしない。
(略)

(四ヶ月目でこちらが動き始めたところ)大阪特捜と東京特捜で必死でババ抜きをなさって、東京が大阪に押し付けた模様でした。

あとは皆さんもご存じの通り。大阪は、他の市民団体から出された背任などの告発も全部まとめて「不起訴」にしたわけです。

なので、私たちは想定通り検審に駒を進めたのですが....
ただ、検審にも重大な問題がいくつもありました。

検審審査員は素人の人たちなので、検審事務局が「事件の解説をし」補助弁護士が「法的アドバイス」をするわけですが、ここで誘導するのが可能です。(略)
なので、私たちは大阪弁護士会に申入れを行い、検察に近い人物が補助弁護士にならないように依頼。
また、告発状本体に事件の説明や経緯を平易な表現できちんと入れることで、検察事務局が大事なところで曖昧な説明をしても理解してもらえるようにも工夫。

しかし、どうしてもクリアできない問題がありました。審査員の選定です。
審査員の選定は、検察官と裁判官が立ち会い、「特製くじびきソフト」で選挙人名簿から選ぶことになっています。
ただ、このソフトには重大な問題があることを、じつはプロのIT技術者の方から指摘を受けていました。
(略)つまり、「検察審査会の審査員の抽選に際して事務局の意図的な介入を容認することが可能なシステム」なのです。
(略)
で、起訴議決には11人中8人の賛成が必須ですから、4人入れ替えることができれば、100%起訴議決は出ません。これをやられたら、もう私たちではどうしようもないのです。
で、結論。森友事件の一連の申立は、起訴相当議決に「一票足りない」不起訴不当に終わりました。不起訴不当なら、検察は形だけの再捜査をして、再度の不起訴処分をすることで幕引きができるわけです。

(略)審査会の議決書は、かなり厳しく財務省を断罪するものでしたから、議論の内容はまともだったのは明らかです。にもかかわらず断固として起訴に賛成しない人たちが4人いたわけですね。

この森友の検察審査会に関して開示請求をかけたら、ほとんどすべての書類が非開示及び全面黒塗りでした。通常開示される「審査員選定の方法」や「審査員選定に立ち会った者」まですべて非開示と黒塗りです。ここまで隠されたことはかつてありませんでした。

これらの対応は著しく積極的に「不断」なわけですが、
やるせない気持ちになったのが、32ツイート目からの
「『これは明らかに変です。なにかあります』そう言って、さらに調査を深めようとした若い記者さん」がその直後に「『配置転換』になり、大阪を離れたばかりか、新聞本体からも外れ、まったく違う部署に異動になりました」という部分。
新聞社が自社のやる気ある記者にまで「不断」を求めてどうする!

これを見ると、「これからの日本において若者に期待」という人も、若者が正義感や使命感にかられて動けば、それを止める立場に立つのではないかと想像してしまいます。

「見ざる聞かざる言わざる」
には、その進化系
「見させず聞かせず言わせず」
があるようです。

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