子どもの声うるさい苦情の住民「18年我慢も…廃止はびっくり」、ヤフコメで思ったこと

【波紋】苦情の住民「18年我慢も…廃止はびっくり」 "子どもの声うるさい”『遊園地廃止』巡る問題 長野市「選択肢なく苦渋の判断」|長野放送

のヤフコメに、

「たった一軒のクレームで」という事が大きく取り上げられているが、べつにビックリすることではない。強烈な人間がひとり居れば、周囲や行政機関や巨大組織でも振り回されてしまう。

最近の記憶に新しい例をあげると・・・
超巨大企業の関電が、何十年も田舎の役場の助役に振り回されていた話。
超巨大大学の日本大学が、おかしな・おかしな、ことになっていた話。
ボクシング教会の強烈な理事長。

民主主義の国では多数の人の意見が尊重されると思っているのは幻想で、実は強烈なごく少数の人に振り回されることが多い。
温厚な人たちの温厚な意見なんて、いくら集まっても、スルーされてしまう。

これはあるかも知れないと思った。
日本は、安心・安全・安定を求めるエニアグラムのタイプ6の国。
それで日頃は、安心・安全・安定となる方向で動いていき、安心・安全・安定が崩れた状態の未知や混沌を嫌い排除しようとしている。

のだが、

その未知や混沌が簡単に排除できなくなると、少しおかしな挙動になることがある。未知や混沌に対峙せず、避けるような動きをし始める。
それで、「弱い者には強く、強い者には弱い」態度となる。
また、「出過ぎた杭には手が出せず」「長い物には巻かれろ」「触らぬ神に祟りなし」なことも起きてしまう。

外国人が日本に来て不思議に思うことのひとつに、ヤクザの存在があると聞いたことがある。「なぜ、あれだけ礼儀正しい日本人が、その対極にあるようなヤクザの存在を許すのか?」という話があるらしい。こういったものは「弱い者には強く、強い者には弱い」態度だと説明すればよい。強い混沌にタイプ6は屈することがある。
そしてこれは常識的なはずのタイプ6文化な会社で「おつぼね様」が存在できている理由にもなる。

「温厚な人たちの温厚な意見なんて、いくら集まっても、スルーされてしまう」
そういうことである。

なるべく無難に自分たちの安心・安全・安定を崩さない方向で取りまとめたいので、
簡単に対応できる人に対しては、簡単に対応してしまう。皆同じようにあつかわず、温厚な人を軽くあつかってしまう。
そのほうが対応している自分たちが早く安心・安全・安定となるから、自分たちが楽な方向に向かってしまう。

いつものお役所なら、法やルールを使って、いわゆるお役所仕事で対応していく(公務員はタイプ6的な組織である)。そういったものに依存して運用すれば、自分たちの責任も生じず、安心・安全・安定だからである。
だが、相手がそれでもなおクレームを入れ続ける存在であったり、社会的な強者であった場合は、法やルールが自分たちの(もしくは自分の)安心・安全・安定を保証しなくなる。
こうなると、態度が変わってくる。

温厚な人や優しい人の意見と、過激な人・怒りっぽい人・偉い人の意見が対立していた場合、平等に接していると、安心・安全・安定が崩れた状態が長くなる。これはタイプ6なお役所にとっては苦痛である。
それで、より簡単に自分の安心・安全・安定を得ようと、お役所は、温厚な人や優しい人弱い人に泣いてもらう形で解決をはかる。

例えばタイプ6な日本の社会人なら、ブラックな職場と、安らぎの場である家庭の板挟みにあったなら、より力の強い存在に従って動かされていくことになる。それが安らぎの場であればあるほど家庭を軽くあつかってしまう。そこにしわ寄せをもってくる。それが積もって家庭に不和を招くことだって出てくる。
家庭を持っていなくとも、優しいパートナーがいる場合に仕事での急用を優先させてパートナーとの事前の約束を破るのも同じ動きとなる。

タイプ6な日本人にとって、法やルール(や約束)も、自分たちが安心・安全・安定でいられるための方便であったり依存先であったりする。
通常、日本人は法やルール(や約束)を重んじるが、その法やルールによって自分たちの安心・安全・安定が崩されると思えば話が変わってくる。それで、力比べになる。その結果、より弱い者、力が無かったり、温厚だったり、優しかったり、正直者がバカを見る結果となる。

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