日本での「ねじれ」の話と、日本での死刑議論が無意味と思うわけ

過去の文章を読んでいるかたにとっては、何が言いたいか分かるでしょうけども
どうぞ読んでみてください。

いつものように前提の説明から始めます。

日本はエニアグラムのタイプ6の国です。
タイプ6は安心・安全・安定を求める性格タイプで、
自ら安心・安全・安定の外に出ることは嫌がり、
そのため通常、タイプ6は依存的になっています。

また、タイプ6は安心・安全・安定のために、
「より確かな安心・安全・安定を!」「より確かな安心・安全・安定を!」と求める中で、
大抵は、個人より個々人、個々人より集団、とその安定度が高い依存先を選ぶことになります。
そして依存の症状の深刻度が進むと、依存先を限定し始めます。
深刻度と書きましたが、それは他のタイプからの視点で、通常のタイプ6には一択するくせがあるので、それが普通であったりします。
最終的に選択肢を一つに絞るのは、タイプ6にとっては「当たり前」のことです。

ここから本題に入ってきます。

タイプ6な日本は、何かに依存して生きようとします。
それが今なら、アメリカになっています。
アメリカ一択です。

日本という国はアメリカに依存しています。
過去にも書きましたが、そのアメリカの中身が民主になろうが共和になろうがオバマになろうがトランプになろうが一択で依存します。

ここから「ねじれ」が発生することがあります。

例えば、日本政府の与党、自民党の政治家の中には、保守的な考えで性的少数者を認めない人もいます。
ですが、そういった人や、その数はここでは問題になりません。
依存先のアメリカから入ってきたものならば、一択しかないからです。
それで「ねじれ」が発生します。

考えが違うからといって、その政治家も自民党に依存していますし、自民党はアメリカに依存していますし、だから、その「ねじれ」があるまま支持するというおかしな事態となります。

国民のほぼ過半数の自民党支持者においても同様です。
選択肢を一つに絞るタイプ6国民なので、支持政党も一択で、変更はありません。

タイプ6国民自身が依存体質なので、個々の政策に内心賛成できなくとも、依存していきます。

ここでも「ねじれ」が起きることがあります。
消費税には反対だとか、水道民営化には反対だとか、個々の政策には賛成できなくとも、依存体質なタイプ6は自ら動こうとはしません。
こういうときだけ「野党がだらしない」「野党しっかりしろ」と、支持政党でも無い野党に期待する自民支持者がいるようですが、
こういった行動も「ねじれ」のひとつと言えます。

死刑廃止云々の議論も同様です。

アメリカが死刑を廃止したら、アメリカは日本にも同様の法整備を求めるでしょう。

依存体質の日本政府は当然アメリカに合わせます。

そして、日本人の大半な依存体質な政府支持者の方々も当然、それに合わせます。

そこに「ねじれ」が起きても、依存体質なので、依存先に合わせるでしょう。


それだけです。

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