日本とアメリカ、求められているサービスの違い

 日本はエニアグラムのタイプ6社会です。
 タイプ6は、安心・安全・安定を求める性格で、精神レベルが落ちるほど自ら安心・安全・安定を損なう未知や混沌に関わるのを避ける傾向があります。つまり判断を嫌がる傾向が、精神レベルの低下と共に強くなる性格タイプです。
 そして、未知が嫌いで、判断も嫌いなので、それを最小限にとどめたい思いから、選択を一つに絞る癖があります。

 こういった、タイプ6社会において求められるサービスは、安心・安全・安定の提供サービスと、判断の請け負いサービス、などになります。

 だれかに安心・安全・安定を保証してもらいたいのです。

 だれかに判断を委ねたいのです。

 勉強でも、タイプ6日本人には、先生が必要です。
 一つの道筋を示してくれる先生が求められます。

 つまりこういうことです。

勉強したい、と思う。すると、まず、学校へ行くことを考える。学校の生徒のことではない。いい年をした大人が、である。こどもの手が離れて主婦に時間ができた、もう一度勉強をやりなおしたい。ついては、大学の聴講生にしていただけないか、という相談をもって母校を訪れる。実際の行動には移さないまでも、そうしたいと思っている人はたくさんあるらしい。
家庭の主婦だけのことではない。新しいことをするのだったら、学校がいちばん。年齢、性別に関係なくそう考える。学ぶには、まず教えてくれる人が必要だ。これまでみんなそう思ってきた。学校は教える人と本を用意して待っている。そこへ行くのが正統的だ、となるのである。
いまの社会は、つよい学校信仰ともいうべきものをもっている。
学校の生徒は、先生と教科書にひっぱられて勉強する。自学自習ということばこそあるけれども、独力で知識を得るのではない。いわばグライダーのようなものだ。自力では飛ぶことができない。

 これは過去に『『思考の整理学』から(日本人の学びについて)』で引用した『思考の整理学(外山 滋比古)』の「グライダー」という文章です。

 安心・安全・安定を損なう未知や混沌に関わるのを避けるタイプ6日本人は、「自力では飛ぶことができない」のです。

 日本で独学する場合には、書店へ行けば書籍は確かに沢山あります。
 ですが、どれを選ぶかの判断に迷います。
 この場合も、誰かに選んでもらいたいと思っています。


 似通った商品も沢山あります。
 ですが、どれを選ぶかの判断に迷います。

 『あなたは多数派に属していますか?』で引用した『「共謀罪」がスムーズに成立する背景(2017/05/19 小田嶋 隆 日経ビジネスオンライン)』の中にはこんな文章がありました。

家電量販店でも、店員が最も頻繁に遭遇する質問は、
「どの製品が一番売れてますか?」
だと言われている。

 タイプ6日本人は、判断に迷った場合は、皆と同じであれば、とりあえず安心できます。

 そういった、判断を助けるサービスがタイプ6日本社会では求められています。

 逆なことを言えば、安心・安全・安定が保証されていないサービスや、未知や混沌な部分があるサービス、自分で判断が必要になるサービスは日本では受け入れられないということになります。

 最近も、『日本の鉄道会社が20秒早い発車を謝罪 欧米メディアが関心(2017/11/17 NHK)』というニュースが流れました。

日本の鉄道会社が定刻より20秒早く列車を発車させたとホームページで謝罪したことに、欧米の主要メディアは正確さや謝罪を重んじる日本社会を象徴するものとして関心を示しています。

 欧米の理解は私から言わせると少し違います。
 安心・安全・安定を重んじる日本では、混沌は許されないのです。それは、ほぼ犯罪と同義だからです。ですから、サービス側は謝罪する必要が出てくるのです。

 比較としてアメリカのことを書きたいと思います。
 アメリカは、エニアグラムのタイプ3社会です。

 成功と賞賛を求める社会です。だれもがヒーローやヒロインになりたいと思っている社会です。
 目的志向の社会でもあります。目的は成功であり、そのための苦労は最低限にしたいと思っています。

 こんなタイプ3社会で必要とされるサービスはショートカットの提供です。
 手っ取り早く、便利であることが重要です。

 筋肉をつけたければプロテインを飲む。
 健康になりたければサプリを飲む。
 電気で、筋肉を付ける。
 契約は、エージェントを使う。
 農業も農薬を使って手早く殺虫する。

 国民性が求めているものがサービスとして発展する傾向があるように思えます。

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