「焼きいも」第4次大ブームの中の危機

『「焼きいも」が第4次大ブームの中…日本に"サツマイモが消える危機"が迫っている事実をご存じか』

を読んで2つのことを思った。

ひとつ、

サツマイモはいまやシンガポール、香港、台湾、マレーシア、タイなど、東南アジアのみならず、欧米諸国でも「日本で品種改良されたサツマイモは、とくにとても甘くておいしい」と、すごい人気だという。

これはとても結構なことだが、
日本政府はこの植物資源を守ることができるのか?
ぜひとも守っていただきたい。

日本はエニアグラムのタイプ6の国。
タイプ6は仲良くなれても喧嘩ができない。
それで、サツマイモが海外に流出したり、他にも何か問題が起こるかも知れない。
日本政府は(日本人は)しっかりと権利を主張できるのであろうか? 少し心配になる。

もうひとつ、

そんな矢先、空前絶後のサツマイモブームに水を差しかねない事態が起きた。

2022年10月28日、静岡県が「アリモドキゾウムシの県内初確認について」というプレスリリースを出したのだ。翌週31日には、中日新聞がWeb版で「サツマイモ害虫、県内で初の確認 アリモドキゾウムシ」という記事を掲載した。浜松市の農産物販売店でゾウムシが見つかり、市内の一部地域に分散したようだ。

幼虫がイモの中に侵入して食い進む。虫や菌によって傷を受けたサツマイモは、自らイポメアマロンという強烈な苦み物質を出す。

ゾウムシの被害を受けたイモはとても苦くて食えたものではない。家畜の餌としても使われるサツマイモだが、苦み物質を放出したイモは豚の飼料としてさえ使えない。

温暖化の進む日本のハウス栽培地帯で、このゾウムシは越冬できる可能性がある。いったん広範囲に蔓延を許してしまえば、根絶は不可能に近いほど難しい。

タイプ6は、未知と混沌を苦手とする。
つい先日も、
セアカゴケグモ、発見から28年でほぼ全国に…専門家「根絶困難」
に関連して愛知のエキノコックスを心配する文章を書いた。
ちなみに、北海道はすでに汚染されてしまっている。

タイプ6な日本は未知や混沌への対応が苦手。
だから対応が後手になる。

アリモドキゾウムシではどうなるだろうか?
これも気になっている。

記事では対応も書かれていた。

昨年、浜松での発見によって衝撃を受け、日本のサツマイモ栽培に強い危機感を抱いた農林水産省は、2023年2月17日に緊急防除の省令、つまり大臣命令を発した。

3月19日以降、ゾウムシの発生地から半径1キロ以内はサツマイモやノアサガオなどのヒルガオ科植物のすべてを廃棄させ、栽培も禁止し、さらに発生地からの移動を禁止する、という措置だ。

(鹿児島県の)指宿いぶすきでやっかいだったのは、アリモドキゾウムシに加え、2008年の11月にイモゾウムシも見つかったことだ。イモゾウムシもサツマイモの塊根かいこんに幼虫が食い進み、同様の被害をサツマイモに与える。

これを受けて農水省は、今回の浜松と同じ緊急防除措置に踏み切った。2009年8月のことだ。

イモゾウムシについては、誘引のできる性フェロモンも開発されておらず、いったん侵入を許せば、どこに潜ひそんでいるのか、そのモニタリングすら難しいのが現状だ。

2011年に農水省から侵入害虫の専門家として指宿に派遣された僕は、最前線で防除にあたっている地域の担当者から説明を受けた。そして指宿市の徹底的な防除に感嘆した。

発生地域でのサツマイモの栽培禁止はもちろんのこと、市内でノアサガオの徹底的な除去を行い、さらに、近所の方々で相互にヒルガオ科植物の発生を監視する組織体制までつくられたという。これらの植物にイモゾウムシが寄生するからだ。

そういう行為を住民のあいだに慣習化させたのだ。


夏休みの日記に定番のアサガオのスケッチができない子供たちはかわいそうに思えたが、そこまで徹底してこそ、指宿市は2012年に2種類のゾウムシの完全な駆逐に成功したのである。

こういった危機にあったときは、行政から個人までが未知と混沌に連携して対応していく必要がある。

今回のアリモドキゾウムシの発生原因は現在「調査中」だろう。だが物流の発達、インバウンド、温暖化などの要因により、これまでは南方地域にしか生息していなかった外来種が、わが国に突如として現れるリスクが明らかに高まっていることは間違いない。

今回の出来事は、人の流れ、モノの流れをいま一度見直す機会を与えてくれているのかもしれない。

著者が見落としているものがあると思う。
それは、悪意ある者が意図的に有害生物を持ち込んだ場合だ。
タイプ6な日本は、未知と混沌を嫌う。それで悪い予想を嫌う。
だから、それが実行されたときに対処できない。

以前、2013年1月にアルジェリアで日本人が死亡した人質事件があった。
これについて外国人の専門家が、
「日本企業はリスクを真正面から受け止めるというよりはむしろ、それを無視する傾向が強いと長年感じております」
「日本人は『もし何かが起きたら』という発想に乏しいと感じられます」
「もし犯罪者やテロリストがあなたに銃を突きつけてきたとしたら、『時すでに遅し』です」
という指摘をしていた。

「もし何かが起きたら」という発想は必要だと思う。
「時すでに遅し」とならないために。

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