「明六一揆」論(3):宰務正視
『調査と研究』(岡山部落問題研究所)に連載された「美作血税一揆の周辺より」(水内昌康)を参考に,宰務正視と首謀者とされた筆保卯太郎についてまとめてみたい。
宰務邸の裏山にある墓地の中央に,二段積みの基壇の上に高さ1メートル50センチ,幅80センチの石碑が建っている。
明治六年,明六一揆の際,津川原部落に押し寄せてきた一揆の徒党によって,102戸の家が焼かれ,村人から18名の犠牲者がでた。部落長であった喜市(喜一郎),その子龍太郎,喜平の3人が惨殺された。
その霊を弔うため,