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存在を問い続けて

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「岡山の部落史」をテーマに、「渋染一揆」や「明六一揆」(解放令反対一揆)を中心に、江戸時代から近代までの論考や史資料を紹介していきたい。
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2022年1月の記事一覧

岡山藩の「捕亡吏」

人見彰彦氏の「部落史のひとこま」(『調査と研究』)に紹介されている史料に「用留」がある。…

藤田孝志
2年前
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美作騒擾への思い

季刊『現代の理論』に連載されている「シリーズ『抗う人』(西村秀樹)」に,⑩「被差別部落民…

藤田孝志
2年前
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「渋染一揆」再考(11):身分と身形

「渋染一揆」の最大の謎は,「別段御触書」の【穢多衣類,無紋渋染藍染に限り候…】である。な…

藤田孝志
2年前
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岡山の近代部落解放運動史(1)

明治維新がある日突然に起こったのではなく,新しい社会体制を目指した動きが社会の中で進行し…

藤田孝志
2年前
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「渋染一揆」原典史料Ⅱ

『岡山部落解放研究所紀要 第6号』に収録されている「渋染一揆」の原典史料である『禁服訟歎…

藤田孝志
2年前
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「渋染一揆」原典史料Ⅰ

『岡山部落解放研究所紀要 第6号』に収録されている「渋染一揆」の原典史料を書き下し文と現…

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藤田孝志
2年前

「渋染一揆」関連図表

「渋染一揆」に関係する歴史的背景や地図・図表である。 これらの図表は,岡山県・岡山市・岡山県同教などが作成した「渋染一揆」関係資料集および『岡山県史』,谷口澄夫『岡山藩』『岡山藩政史の研究』,柴田一『渋染一揆論』などの参考文献より引用・転用して作成した。 ① 差別と闘い続けた岡山藩の被差別部落② 「渋染一揆」の経緯③ 「渋染一揆」関係者処分一覧表④ 岡山藩の窮乏状況:財政収支⑤ 岡山藩領地図⑥ 「渋染一揆」関係地図

「渋染一揆」再考(10):差別からの解放

従来の「渋染一揆」の授業実践で強調されてきたことは,次のようにまとめることができるだろう…

藤田孝志
2年前

「明六一揆」論(8):「詫書」

部落が農民に対して出した「詫書」(詫状)には何が書かれていたのだろうか。 『備前・備中・…

藤田孝志
2年前

「明六一揆」論(7):小林久米蔵(3)

久米蔵が捕らえた津川原村の村民の名前を行重村の山口徳蔵に書き留めさせた理由を,上杉聰氏は…

藤田孝志
2年前
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「明六一揆」論(6):小林久米蔵(2)

失意のうちに帰宅していた久米蔵の胸中はいかなるものだっただろうか。顔役としてのプライドを…

藤田孝志
2年前

「明六一揆」論(5):小林久米蔵(1)

津川原村の本村にあたる妙原村の「顔役」小林久米蔵は,明六一揆の「津川原村襲撃」に関わるke…

藤田孝志
2年前
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「明六一揆」論(4):筆保卯太郎(1)

「明六一揆」の首謀者として処刑された筆保卯太郎,私は彼を首謀者と考えてはいない。彼は,当…

藤田孝志
2年前

「明六一揆」論(3):宰務正視

『調査と研究』(岡山部落問題研究所)に連載された「美作血税一揆の周辺より」(水内昌康)を参考に,宰務正視と首謀者とされた筆保卯太郎についてまとめてみたい。 宰務邸の裏山にある墓地の中央に,二段積みの基壇の上に高さ1メートル50センチ,幅80センチの石碑が建っている。 明治六年,明六一揆の際,津川原部落に押し寄せてきた一揆の徒党によって,102戸の家が焼かれ,村人から18名の犠牲者がでた。部落長であった喜市(喜一郎),その子龍太郎,喜平の3人が惨殺された。 その霊を弔うため,