光田健輔論(44) 不治か完治か(4)
大谷藤郎氏は、京都大学医学部で小笠原登氏に師事し、旧厚生省官僚としてハンセン病問題に関わり、「らい予防法」廃止に尽力し、「らい予防法違憲国賠訴訟」の証人として患者勝訴に貢献した人物である。大谷氏については別項にて述べたいと思っている。
大谷氏の時代区分はほぼ適切である。私は、第四期を戦後の「プロミン」導入期からと考え、大谷氏の「第四期」を第五期、「らい予防法廃止」から「国賠訴訟」までを第六期、以降から現在までを第七期と、細かい区分で考えている。なぜなら、戦後の区分はそれぞれ