マガジンのカバー画像

心の壁を越えるために

114
岡山県にある長島愛生園をフィールドに,ハンセン病問題について,その歴史的過程(排除・排斥・隔離の歴史)と実態(なぜ差別されたのか)の解明などを通して,我々が将来に向けて何を学ぶべ…
運営しているクリエイター

#光田健輔

<特別病室事件>再考(10)

次に取り上げられたのが不正会計問題である。 不正の証拠である慰安会々計簿及び別途会計簿の…

藤田孝志
13時間前
2

<特別病室事件>再考(8)

「特別病室」設置の要因となった1936年に起こった「長島事件」(長島愛生園)は、ハンセン…

藤田孝志
3日前

<特別病室事件>再考(7)

ここで、福岡安則が『裁判抜きの「重監房』によって明らかにした「訂正」を紹介しておきたい。…

藤田孝志
4日前
2

<特別病室事件>再考(6)

なぜ、栗生楽泉園に「特別病室」が造られたのか。私は、どうしても光田健輔の影を見てしまう。…

藤田孝志
7日前
4

<特別病室事件>再考(3)

以前、キリスト教の牧師(現在は隠退牧師)が自身のブログに、かつて長島愛生園を他の牧師達と…

藤田孝志
11日前
1

<特別病室事件>再考(2)

なぜ草津の栗生楽泉園に「特別病室」が設置されたのか。 各療養所には監禁所(監房)が完備さ…

藤田孝志
13日前
1

<特別病室事件>再考(1)

ハンセン氏病患者協議会編『全患協運動史』には、患者たちの「事実」と「誇り」が書き綴られている。日本患者同盟会長長宏は「序文」に次のように書いている。 『全患協運動史』を私に手渡したのは、長島愛生園の金泰九さんだ。ある日、彼の居宅を訪れた私に本場韓国のインスタントラーメンとこの本を渡して、「この本を読めば、ハンセン病の歴史がわかるよ」と言った。自宅に帰り、早速読み始めてすぐに、目の前にまるでその場にいるような映像が流れてきた。あまりの残酷さと理不尽さのなかで、立ち上がっていく

光田健輔論(64) 「らい予防法」の背景(1)

「らい予防法」成立の背景は、成田稔『日本の癩対策から何を学ぶか』に詳しいので、これを元に…

藤田孝志
2週間前

光田健輔論(63) 「三園長証言」の考察(12)

光田健輔を、ミッシェル・フーコーの<牧人権力>の図式をもとに考察したのが武田徹である。武…

藤田孝志
3週間前
4

光田健輔論(62) 「三園長証言」の考察(11)

「三園長証言」以後、厚生省は「癩予防法」の改正を進めていくが、その背景について考察してみ…

藤田孝志
1か月前
2

光田健輔論(61) 「三園長証言」の考察(10)

医者は医者であって警察でも裁判官でも、まして行刑の執行官でもない。当然のことである。しか…

藤田孝志
1か月前
6

光田健輔論(60) 「三園長証言」の考察(9)

徳永進は「隔離の中の医療」(『ハンセン病』所収)と題した小文で、光田健輔について次のよう…

藤田孝志
1か月前
2

光田健輔論(59) 「三園長証言」の考察(8)

林芳信は、大正3(1914)年5月、全生病院医員となる。同年2月、光田健輔は全生病院長に…

藤田孝志
1か月前

光田健輔論(58) 「三園長証言」の考察(7)

前回、ハンセン病を「恐ろしい伝染病」を喧伝したことの罪過は大きいと述べた。もう少し、このことについて考えてみたい。 「伝染病」が「恐ろしい」という表現は、二重の意味を持つ。一つは「病気」自体が「恐ろしい」ことである。それは「不治」(治らない、治療薬がない、病因が不明)、「病状」(身体の変形、痛み、苦しみ)などから「恐ろしい」のである。もう一つは「感染力」が「恐ろしい」ことである。この二つによって、ハンセン病が「恐ろしい伝染病」であると人々に認識され、人々はハンセン病を忌避し