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自分は何が好き?ー広石コラムVol.11

連日、アメリカ大統領選挙がニュースで流れていて身近に感じすぎて、まるで自分にも投票権があるのではないかと錯覚を起こすほどでしたが、毎日次々と流れてくるメディアからの情報について思った事。
混乱する。。。
情報を上手く取り入れるって難しい。
そんな時に、このコラムを読んでなるほどー!と思い色々考えました。
(事務局新村)

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「美人に投票するコンテストを開催した時に、もし”優勝した人に投票した人には賞金を出す”としたら、どうなるだろう?」

先日、NHK「欲望の経済史」の再放送を見ていると、ケインズによる例え話”美人投票”が紹介されていました。普通に「誰が美人と思うか?」と問われたら、“自分が”美人と思う人を選ぶでしょう。しかし、「票が集まる人に自分が投票していたら、自分に利益が返ってくる」となると、“他の投票者が投票しそうな人”をお互いに探りあい、“勝ちそうな人”を選ぶでしょう。投票者は「自分自身がその人が美人と思う」という理由では投票しなくなるのです。
そして選ばれた人は「本当は多くの人にとって、最も美人ではない人」になるかもしれません。

今回、この話を見て改めて思ったのは、この状況が続くことで「自分が何を、なぜ良いと思うか」がわからなくなる人が多くなりそうだ、ということです。「あの会社が儲かる」「あの人が勝つ」と”みんなが言っている”ものが自分の利益を生むとなると、関心は、自分自身の判断軸や対象者自体を深く理解し、判断することよりも、自分に入ってくる“他の人の意見”“流れ”に沿って選んだ方が「間違えない」と考える。そのように”間違えない選択”を重ねるうちに、それを「自分の選択だ」と思うようになるでしょう。

選ばれる側の人は、選ぶ人が自分をきちんと評価しないままに選んでおらず、選ぶ人同士の牽制と評判の中で選んだとしても、「皆が自分自身を支持している」と全能感を持つか、「求められているのは結果・イメージで、自分は理解されていない」と疎外感を持つかに陥るでしょう。

現代では、これは投資だけに限らず、アイドル、様々な社会ブーム、政治などにも定着していますし、受動的に情報がどんどん入るネット社会で、この傾向はさらに強まっていくのでしょう。

そう考えた時、2つの話を思い浮かべるのです。

一つは、美人投票のような株式市場で、最も成功を収めたウォーレン・バフェットが投資家として成功した理由を聞かれて、自分の投資会社では、「なぜその会社に、その額を投資するのか、子どもや家族に説明できるかを大切にしている」と話していたことです。

もう一つは、映画「千と千尋の神隠し」のラスト近くのシーンです。魔法にかかった主人公「千」が人間(千尋)に戻るために、魔法界を仕切る湯婆婆に問われます。「この10匹の豚から自分の親を選べたら、人間に戻してやろう」。そして、千は、それぞれの豚を見て言います。「この中に親はいない」と。自分に果たされたルールは「10匹から選ぶ」なのに、自分で「この10匹ではない」と判断した時、千という数字の存在から、千尋という”自分の名前”を取り戻します。

自分は何が好きなのか? 自分はどう選択しているのか?何が”社会”の“選択”を促しているのか?それを問いかけ続けるのが、ますます大切になっていると感じます。
                     エンパブリック代表 広石
                       (2018年9月19日記)

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これだけの情報が溢れている中で、ちゃんと情報を自分で整理して選んでいくという力がとても大切だなと思いました。目の前の出来事に自分は何を思うかという、良い当たり前のことを、逆に難しくしてしまっていることってあるのだなと感じました。便利に検索出来てしまう状況に、自分の軸を見失わないように。と思っていても、ついつい忘れる事もあるので時々読み返したいコラムです。(新村)

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