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「コミュニティや絆は社会の分断にもつながる?」ー広石コラムVol.45

今年の9月18日にempublic Studioが開始してから、本当に色々な方達が参加して下さっているのを見ていて、私が以前から何かと思い出す、広石のホームパーティについて書いているコラムをぜひご紹介したくなりました!まさしくempublic Studioってこのコラムにある色んな「stranger」と出会えるホームパーティ―みたい!と思ったからです。遠くに住んでいて、きっかけになる場がなければ出会う事のなかった人達、日頃なかなか自分の周りでは出会えないような人達が集えるオンラインの便利さもしみじみ感じました。「stranger」??と思った方、ぜひこのコラムを読んでみて下さい!(事務局新村)
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僕は、エンパブリック創業の理由として「日本にはホームパーティが足りないと思ったから」と話していて、講演などでも「ホームパーティを行っている人は?」と質問したりしています。最近、「ホームパーティをしている」と手を挙げてくれる人と、話が合わないと感じることがありました。

話を詳しく聞くと、その人のホームパーティは「友達夫婦3組で食事をすること」を意味していました。その話を他の人としていると「今の若い世帯の感覚では、ホームパーティはそういうものだ」と何度か指摘されました。

僕のイメージしていた「ホームパーティ」は、夫、妻、子どもそれぞれの知人・友人たちが集まり、そこに友人の紹介で来た人も混ざっていて、「知人を介して、知らない人と出会っていける場」でした。友人3組で集まるのもいいですが、僕の感覚からは「あれ?」と思ってしまったのです。

以前、社会福祉がご専門の高橋紘士先生に「日本はホームパーティが足りない」と話した時、高橋先生が「日本には、strangerと出会う場がなくなっているんだ」とおっしゃってくださいました。

strangerとは「文脈や価値観が違う人」のことを指します。学校のクラスの中で、他の子とノリが合わないと孤立している子はstrangerです。今の日本には、同質な人たちが集まる機会はたくさんあっても、「違う人」と出会い、話す機会が減っているように思います。それは、意識が高い人は意識が高い人で集っている場合にも当てはまるでしょう。

「ホームパーティ」は、日常生活の中でstrangerと出会っていける装置であってほしいのですが、よく知る友人との場となっている。それも、今の時代感覚を反映しているのだと思います。

ただ、同じような考えや価値観の人同士だと話しやすい。しかし、それが本人の意図しないうちに、「知らない人がいたら面倒だ」という感覚になっていくと、閉じてしまうことになります。

「コミュニティ」や「絆」は、「閉じる」と常に隣り合わせのところにあります。コミュニティを強くすることは、社会の分断につながる危険性も含んでいることは、社会活動を行う際には、いつも自覚していることが大切だと改めて考えています。

※ 社会活動やコミュニティを多くの人に開かれ、居場所や出番となるように、
※ パブリック(開く)とコミュニティの関係を改めて考えてみませんか?
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同じノリというか、感覚が似ている同士とは話をしていても同調してくれるという安心な部分もありますが、違った考え方のタイプの人や違う人生経験をしている人に同じ話をしてみると、自分の基準で正しいと思って決めつけてしまっていた部分に気付いたり、逆に同じような事で悩んでいて急に仲間意識が芽生えたり。(笑)コロナもあり余計にですが、なかなか人と知り合うのも繋がるのも難しい。オンラインで、尚且つ安心のある「場」の大切さを感じる今日この頃です。(新村)


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