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イエナカ未踏峰

 「幸せとは・・・生活の中に美を見出す事だと思うのよね」とショウコさんは言った。

 午前10時半、よくあるごく普通の一戸建ての家のリビングに40代女性2人が、テーブルに向かい合って座っている。

「え・・・。そうですか。ショウコさんは今生活に美を見出されているのですか?」
 
せい子さんは驚きと戸惑いをわざと感じさせる口調で尋ねたが、ショウコさんはふふふっと意味不明の笑みをこぼし、そう。と言った。

せい子さんが、ショウコさんの家に訪れたのは今日で2度目だ。週に1回午前10時半に、ショウコさんとお茶をする。ただお茶をするだけではない。ショウコさんの何気ない毎日の出来事や悩みを聞くと言う仕事がある。
そう、これは1時間500円の仕事なのだ。

クリスマスブレンドだという、クッキーの香りのする紅茶を一口飲んで、ショウコさんが言った。
 
「私、専業主婦で家にずっと居るのに家事すらまともにできないの。できないと言うよりやる気がないってやつね。結構頭いいのに、勉強する気がない残念な中学生みたいなもんね。」

ショウコさんは話をする際、すぐに何かに例えたがる傾向がある。

「でもね、洗濯は割とちゃっちゃとできるの。あれは洗濯機に入れたら済むし。干すのもまぁ室内に干してるからそんなに億劫じゃないの。」

ショウコさんの家はリビング階段で、階段を上がったところに、3畳あるかないかの狭い空間があり、そこに洗濯物を干している。端の方に小スペースのデスクが作りつけられており、そこにパソコンとプリンターが置かれている。ただ、ここでのパソコン作業は無理だろう。今の状態では。

「畳むのもまあオッケー、ギリオッケー!でもその畳んだブツを然るべき場所に鎮座させるのがもう〜無理!階段登ったとこまで運んで力尽きるの」

それでね、あの状態ですのよ。ホホ。とショウコさんは他人事の様に言った。
そう、家族全員の畳まれた衣服が、階段を上がったところにあるパソコンデスクにドガッと置かれている。量からして、3,4日分の衣類だ。季節外れの衣類も見えたのでもしかするとそれ以上だ。

「あの場所、かなり便利なのよね。だってほら、言ったらランドリースペースじゃない?だから乾いた洗濯物も立ったまま宙で畳んでホイッてデスクに置けるしね。」

いやそもそもその場所は、ランドリースペースではなくパソコンスペースだったはず。そして宙で畳むから衣類がふわっとして洗濯の山が不安定になり、一部が雪崩れてしまっているのだ。

「うち、寝室2階だから朝起きたときにそこからおのおのその日の服取って降りれるし。合理的よね。」

でもねー。とショウコさんはこの単なる自堕落話をさも難しい家庭問題の様に話し続けた。

「洗濯物の山の重なりから見え隠れする家族のポートレイトがなんだか悲しいかなって。子供達がクローゼットの意味とは?と問いかけながら育っていくのも哀れかなって。」

そうも思うのです。とため息混じりに階段の上の方を見た。

「ところでせい子さん、梅里雪山って知ってる?」

「いいえ。せつざんって雪山の事ですか?」

「そうそう、中国の山だったかな。前にテレビで見たことあってね、その山はすごく登るのに条件が厳しくってまだ誰も登頂したことがないんだって。」

いわゆる未踏峰というものね、とせい子さんは理解した。

「ある朝ね、パソコンの上に連なる洗濯物の山に、日が差し込んでね、それがすごく綺麗だなって思ったの。まるで誰も立ち入ることを許さない梅里雪山みたいだなってね。」

生活の中に美を見出すって、幸せってこういうことかなって思ったわけ。とショウコさんは締めくくった。

外から小さな子供の話し声とそれに応える母親の声が聞こえて遠ざかっていった。
せい子さんは、たっぷり残っているすっかり冷めきった紅茶をぐいっと飲み干して言った。

「ショウコさん。あの雪山、なんとか登頂しましょう。」

「…そうよね。」

今日の報酬。
ティータイム1時間:500円

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