見出し画像

私を楽しむ読書会〜『ソクラテスの弁明』〜

2ヶ月に一度開催している共催の読書会レポート。
結論はありません。


はじめに


読書会の進め方
「8分読書」で進行しています。
読書会までに全部読んでくる必要はありません。(もちろん全部読んではダメってことはないです)
読書会の中で本を読む時間を作ります。(8分)

それぞれ思ったこと、感じたことなど書き出します。(3〜8分)

時と場合によって内容や背景の解説します。(書く時間と調整して全部で8分)

それぞれの書き出した内容をシェア(30分くらい)したり、気になるところを読んでみたり。

今日の感想など(全部で1時間くらい)

『ソクラテスの弁明』背景ノート


この本はプラトンが書いたソクラテス4部作の2冊目です。
なので、すごーくとっつきづらいってわけなので、どんな本なのかまずは調べてみました。感想ダダ洩れものがたりの背景はこんな感じ!

ソクラテスは紀元前5世紀あたりのアテナイにいた人で、その弟子がプラトン。さらにその弟子がアリストテレスだったりします。
アテナイってのは今のアテネね。最初の民主制都市国家ですね。
仏陀とキリストと孔子とソクラテスで世界4大賢人なんて言われています。
(まあ、これは諸説あり)
この事件の少し前にはスパルタっていう近くの国と戦争してボコボコに負けています。
この頃のアテナイではあっているあっていないに関わらず、声が大きくて扇情的な演説をしたりして人々を論破していく人がブイブイ言わせる社会でしたぽい。
(やっぱりさ、負けが込むとイイ感じのことを断定的にいう人についていきたくなるんだろーな。論破王じゃん。)
というわけで論破王の周りにはそれを支持するインフルエンサーが溢れ、さらに多くのひとがその人の高額セミナーを受ける、みたいな感じになっていました。(うわあ)
そこに論破王たちを論破する(たぶん)小汚いおじいちゃんが登場します。
その人がソクラテス。
論破王やその取り巻きや、この道一筋の偉い人たちをばったばったとなぎ倒す。
それはもう、イラっとさせられます。
しかもですね、在野の論人、ソクラテスには弟子がいっぱいいて、その中には例えば先だってのスパルタの戦いでまさに敗戦の原因を作った人とか、その後一旦起きた独裁的恐怖政治を行って無実の人を死刑にしまくった人とかもいるわけで、その師匠が?「愛」とは?とか「正義」とはとか「徳」とは?とか説いてくる。しかもなんか(アテナイの人々が信じて何よりも優先させている)神々も冒涜してるっぽい。
それ、お前がいう?!ってなるわけですね。
というわけでソクラテスは訴えられて裁判にかけられたのです。

というそこまでが一冊目。ながい。
で、二冊目がこの『ソクラテスの弁明』。
だからこれは裁判でソクラテスが喋った内容を書き起こしたものなんですね。
ちなみにこの頃の裁判制度は告発者と被告がそれぞれ自分の主張をアピールして、それを聞いた裁判長1人と陪審員がこの時は500人、そのほかに多くのギャラリーもいて、裁判はまさに一大コンテンツとなっていました。
告発者と被告の論戦を聞いて、陪審員のみなさんは有罪か無罪か決めて、多数決で決定されます。そこで有罪が決まったら、もう一度弁解の機会を得られてさらにそこで求刑が確定する、っていうシステムです。
結論からいうとそこでソクラテスは僅差で有罪となりその後圧倒的多数に死刑を求刑されちゃうんです。
そのあとの投獄期間が三冊目でとうとう毒杯を飲むとこが四冊目です。

『ソクラテスの弁明』で思ったこと感じたことノート


まず、ソクラテス…めんどくさいおじいさんだな。
それはともかく!
この頃のアテナイの社会状況が今の社会と似ている気がする、と感じました。イイ感じのことをいい感じに言う人になびいちゃうとか、そういう人に多額を支払って学びたい!とか。有名人のオンラインサロンに入るようなもんですもんね。取り巻きたい!みたいな。
なんでそういう社会になるのかというと、少しでも「勝ち組」についていって、少しでも得したいから!とかそういうのもありますよね~
ゆえに善悪とか、良し悪しとかより損得で考えちゃうし、「影響力を持って」勝ちたいし。
あと、裁判の感じもすごーく雰囲気になびいてる感じ…SNSで私たちが日々ジャッジしているのと変わらなくない?SNSで誰かをたたくとか、なんか娯楽っぽくやってる人多そうだもんなあ。

適当にいいことを言ってくれそうな人に楽に勝ち組になりたいからついていく。そんな時、ソクラテスはいいます「なんで?」
ソクラテスが問いを立てるのは「問答法」といいますが、これって私にいわせりゃざっくり「なんでなんで戦法」ですよね。なんでも「なんで」「なんで」言われると、返答できなくなるからほんといや。会社でこれやってくる上司とかってマジ勘弁。ほとんどいじめだよね。
これやるのか…キツイな。ソクラテス!!

けど、それこそがソクラテスの「問いを立てる」ということなんですよね。たぶん。

改めてこの本を読み終わってから、私が見たこと感じたこと飛びついたこと信じたいこと…いろんな時に心の中にソクラテスおじいちゃんが出てきて「問い」を立ててくる。
うざい。
しかし、それはとても大事なことなんですよね。
カンタンに結論に飛びつかない、とか、わかった!と思わないこととか、いったん立ち止まって「問いを立てる」こととか。
私は古典とかアートとか歴史を勉強し続けているけれど、(お香のために!あと趣味もあるけど)それは「ぜんぜん知らない」と思っているから学びたい!と思うんですよね。
興味がない、とか必要ない、と思うことはそもそも「知らない」ということにも気づきがない。

「知らない」から「知りたい」まだまだ「知らない」そんなことに気づいている方がまだ「マシ」だよね。とソクラテスは言っているのかな~など思いました。

ふむむむ「知る」と「考える」と「思う」ってなんなんだろうな…

次回は仏教本の予定です。
仏教本っていうと『反応しない練習』になるけど、これはちょっとなあ~


この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?