ADHDは料理が苦手なの…か?

こんにちは、けいくんです。
少し前に自身の発達障害のこと(ADHD特性+ASD特性)について、Standfmという音声ラジオで話してみました。その時、なかなかうまく喋れないな…と思ったので、今回はラジオの原稿がてら、思考の整理のためにnoteに綴ります。

特性はひとそれぞれ

僕が思うに、”ADHDだから○○~”みたいなのは、一見合ってるようで少し違っているように思います。そう、人それぞれ特性の凹凸は違うし、その濃い薄いも違う。グレーゾーンという言葉があるように。

一般的に考えるならば、料理はマルチタスクになるため、ADHDの人は料理が苦手…となるハズです。

しかしながら、Twitterで見ていても料理が得意、好きなフォロワーさんもいらっしゃるし、#発達料理部 のタグも度々目にします。僕も所属させてもらっているコミュニティ「たどうのうず」では、最近「部活」として「発達料理部」のスレッドができそうなくらい盛り上がっています。

僕の場合は、「料理」は苦手だけど、「お菓子作り」は好きです。同じように食べ物を作る行為なのに、自分の中の「苦手・嫌い・好き」はなんだろう?を改めて考えてみました。

料理が得意な人の要因(予測)

僕は料理が苦手ですが、得意な人の要因をADHD特性に紐づけて想像してみました。

1. 好きな時に自分の食べたいものを自由に作りたい
2. 自分のアイデアを盛り込んで料理をアレンジするのが楽しい
3. 作った料理がおいしい!食べてくれた人から「おいしい」と褒められる
4. 料理を作る行為そのものに夢中になれる

こんな感じですかね、とくに1. や2. の好きな時に自分のアイデアを具現化できるについては、自由にかつ衝動的に?どんどん出来るのがいいですよね。しかも、隠し味にいれた食材がメチャgoodな出来栄えだったりしたら格別です。

3. の褒められて嬉しい!も報酬系が弱いADHD特性には大きい影響があると思います。好きな人に料理を食べてもらったり、おいしいものを食べて自分自身も幸せになったり。

僕が料理が苦手な理由(実感)

ふと料理が得意な人の要因を考えていたときに、実は僕にはその機会がなかったというか、逆の経験が多かったのかな…と思いました。

1. マルチタスクが出来ずに、冷たい料理は先に、温かい料理はあとでの段取りを意識した調理ができない。
2. 完璧主義すぎてお店より美味しい料理じゃないと納得できない。
3. あいまいな分量や指示、余白となるアレンジ部分が苦手
4. 料理のあとの片づけが大嫌い、料理よりも後の事を考えて億劫になる。
5. 時間がかかりすぎる…

こんな感じでした。
多分、一言でいうと「完璧主義ゆえ、美味しい料理を段取りよくできない自分が嫌になる」ということだと思いました。

1. の温かいものを提供する、についてはラーメンなどの麺類だったら、スープと麺の茹でるタイミングだったり、考えてやっていないと麺が伸びたり、スープが冷めたり…。

夫婦で家事を分担していた時、僕が料理当番のときには温かいものを温かく提供できずに「なんでそんな簡単なこと(順番を考えて作る)もできないの?」とよく嫁さんに言われていました。。凹むんですよね。。
結果的にそれが2. にも通じていて、せっかく食材を使って手間暇かけたのに失敗して美味しくなかったりすることが許せません。僕のせいで食材と時間を無駄にした…と思うんですよね。
また、自分なりにアレンジをして手を加えた場合に、これまでよく失敗してきたので、「あのアレンジは余計だったな、かえって味を悪くしたな…」と余計なひと手間による台無しさを痛感してきました。

こんな経験から、「絶対に失敗したくない!」「料理本の通りに完璧にやろう!」と思うのですが、料理本にはときおり「塩少々」「○○は適量」という感じで調味料の量などがあいまいに書いてあると、大さじ一杯とか、5gとかちゃんと書けよ!と思って、本当に適当にドバって感じでいれたりして味付けのバランス感覚を間違えて失敗します。。

結果、台所はめちゃめちゃに、片付けもしんどく、気づいたらものすごい時間がたっている。料理をはじめて、食べて、片付けしたら3-4時間とか経っていると、「はじめから買ってきて食べるか、食べに行った方がよい」と思っていました。

その点、うちの嫁さんは料理が得意?なのか、美味しいものをいつも作ってくれるので、なんでも完璧にできる嫁さんと自分を比較してしまい、ますます料理が嫌いになっていったように思います。。

僕がおかしづくりを好きな理由

ですがですが、実は料理は苦手だけど、お菓子作りは好きです。その理由も考えてみました。

1. 手順通りにやれば失敗がない
2. お菓子は材料が150gなど細かくキッチリ書かれている
3. マルチタスクが少な目
4. お菓子が好き、作れば成功しているし美味しい
5. 子供のときにお菓子を作って褒められた

料理のときと逆ですね…

お菓子の場合は、料理本にもよりますが、一つ一つの手順が丁寧に記載されており、分量などもg単位できっちり書かれているため、確実に任務を遂行すれば必ず成功します。そこに、遊びの余地はありません。
これはADHDの特性としては「自由にやりたい」と思うため、逆な部分になるのですが、おそらく僕の中のASD的な特性の部分で「決められたことを決められた通りに忠実にズレなく再現したい」というこだわりの強さが関係しているのでは?と思います。

4. と5. は好きこそものの上手なれ、だし褒められて嬉しいものです。始めてお菓子作りをした小学校4年生のときに「お菓子作れるなんてすごいね」の一言に喜んで、クッキー作りがマドレーヌになり、マドレーヌが誕生日やクリスマスのホールケーキに進化していくなど、どんどんお菓子作りにハマっていきました。

また、「男子でお菓子作り」というのもマイノリティっぽくて、余計にちやほやされたのがよかったのかもしれません。一時期、将来の職業に「パティシエ」もいいなぁなんてぼんやり思っていたくらいです。

発達障害の特性はあまり関係ない。とらえ方次第!

さて、こうして自分の「料理が苦手」「御菓子作りは好き」を客観的に分析してみると、直接的な発達特性によるものというよりは、起きた事象に対しての心理的な要因が大きい、と感じました。

例えば、ぼくも料理を小さいころに褒められてたり、たまたまアレンジしていれた隠し味が最高にniceな出来だったら、きっと今頃料理好きだったでしょう。

実際に、僕は「カレー」と「チャーハン」のときは料理当番をやっていて、子供が「お父さんの作るカレーは美味しい」と言ってくれます。そのときに生まれる感情によって、カレーやチャーハンは苦手ではない、と思っています。(逆に嫁さんは自分の作るカレーがおいしくないと思っているらしく、僕にカレーを依頼してきます)

これって、何も料理に限らずに何にでもいえることなのかな…と。

ついつい発達障害の特性のせいにしてしまったりすることが多いですが、どちらかというとその行動の先にある感情であったり二次的な要素が大きく、得意や不得意、苦手、といったことを決めているのかもしれません。

事象と気持ちを分けて分析することが大切だな…と。

結論、タイトルにつけた 発達障害と料理の得意不得意は関係ありません!

久しぶりにお菓子作りがしてみたくなってました^^



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