SMと私の人生

SMの必要がなくなった


あの頃の私はSMを通していろんなこと伝える練習できてたのかなと 今となっては思う
そして友達や恋人、家族に色んなこと話せるようになって、私が成長したから必要無くなったのと今現実に大切にしてくれる人たちがいっぱいいてるから



そもそもSM好きではない


SMの定義が何かは分からないけど一般的なイメージとして痛いこととか苦しいことかなって
痛い、苦しいとかはずっと好きではない
多分SMを通して追い詰められたかったんだろうな
追い詰められて嫌なこととか吐き出せるのが気持ち良かった
逆に言うと追い詰められないと吐き出せなかった
無理と思ってからが無理みたいなところがあるから嫌なこととか吐き出すに値してないと思ってた



我慢してきたことが多かった


嫌なこととかも我慢、周りに話せなかった
迷惑かけるんじゃないかとかそんなこと考えても仕方ないことたくさん考えてた
頼るのもすごく苦手
けど最近話せるようになってきて自分を出せるようになってきた
自己開示しても受け止めてくれる経験が最近はよくあるから自分を出しても良いんだと思ってる


昔はそもそも相談だとか話していなかったことが多かったから話してたら変わってたかもやけどそもそも自己開示することがなかった
もしかすると昔に話したことが否定されたとかあるのかもしれないけどもう自分の中でそんなのはどうでも良いことで思い出したらそれはそれかなって



自己肯定感低いこと気にしてた


ずっと自己肯定感が低かった
けれど仕事辞めて心療内科のカウンセリング通ってからというもの自己肯定感低いの辛いよなと思って…
けど気づいたら自己肯定感低くはなくなっていて、それはカウンセリングを通して人に自分の嫌な気持ちとかも話すことで自分の気持ち整理したり自分の気持ち知ることが出来たからなのかなって
カウンセリングの先生に言われるまで思ってなかったけど、"思ったことそのまま受け止める"これよく言われるけどできてなかったなって
嫌なことは嫌なのにね
嫌なことを思う自分が嫌いだった
そんなんしんどいやろ?ってあ、私しんどかったんかって
言われるまで気づかなかったわけじゃないんやろうけど楽したらダメとか私はこれぐらいしないとじゃないけど、我慢する自分っていうのが当たり前になってたなって


そうして気づいたら自然と自己肯定感とかどうでも良くなっていた
ただしくはこだわらなくなったかな
自己肯定感を気にする時がゼロになったわけではないけどほとんどなくなった、ほんとに変わった


人に頼ることが難しかったけど頼れるようになってきたり嫌を伝えられたりちょっとずつできるが増えてきて生きやすくなった
必要以上に自分の気持ちに敏感である必要もないなと
どうしてもしんどいにフォーカスしてしまいがちな人間には辛いよな
けどそれすらもしんどいなあって思える
自分に嘘ついてしんどくないとか絶対我慢しよとかは思わなくなった
マイナスな感情もしんどかったねとか自分の中で色々な感情が出ることを否定せずそのまま受け止められてる



手放す


私にSMは必要だった
今はそうかと言われたらそうではない
私には吐き出すための唯一の心の拠り所だったから
今は頼れる人たちがいて前に進めてるから


だからこのアカウントも正直あまり使い所がなくなってきてるなとは思ってるけどこの垢は時々吐き出しにきたり日常を出すのかなって
いつかふらっとどこかにいくかもしれないけど
友達でいてもらえるなら嬉しいです




胸張ってまでは言えないけど幸せです
私のことを好きで私も好きな人たちみんなが幸せでいられますように




SMと私の人生

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