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だから私は旅することがやめられない

オーゥ…マイ…ガッ……!!!?

それは一瞬の出来事だった。気づいたときにはすでに、フロントガラスは一面、緑の枝葉で覆い尽くされていた。

しばらく放心状態の後、おもむろにギアを手に取り後ろにバックすると、はらはらと葉っぱが落ち、左のサイドミラーもガコンと音を立てて落ちたのが見えた。中のコードだけで辛うじて繋がり、ぶら〜んと空中ブランコをしている。

と、同時に、横の窓ガラスを叩く音と"Are you okaaaaay?!?!"と切迫した声が聞こた。振り向くと、顔面蒼白で私の車の中を覗き込む欧米系の女性と目があった。大きな目がさらに大きく見開いている。

私はそのときになってやっと、自分の置かれている状況を認識した。

ニュージーランドという異国の地で、事故ってしまったのだ

広大な土地が広がるニュージーランドは、郊外に出ると時速100kmの国道だらけ。運転免許を取ったばかりの私は、そんなスピードで走るのは教習所の高速道路実習で行った1回きりだった。そして、ここは信号や標識もろくに無い田舎道。そんな慣れない100km道路の途中で左折をしようとしたとき、減速が不十分なままハンドルを切ってしまい、コースアウトしてしまったのだ。

不幸中の幸いにも、すぐそばに茂っていた林の中に突っ込んだので、大きな衝撃もなく、ズブズブと吸い込まれるように徐々にスピードダウンしながら車は止まった。私自身も全くの無傷で、他の人や物を巻き込まずに済んだ。

助けてくれた通りすがりの旅人と助けてくれないNZのポリス

駆けつけてくれた二人はドイツ人で、私と同様ワーキングホリデーでニュージーランドに来ており、ロードトリップをしている最中だった。私の車のちょうど真後ろを走っていたらしく、目の前の車が急に林の中に突っ込んでいったものだから、驚いて車を降り、安否を確認しに来てくれたのだった。

車通りの少ない田舎道。この二人が居てくれて、どんなに心強かったことか。まだニュージーランドに来てから1ヶ月ほどしか経っていなかったので、電話一本で気軽に助けを求められる家族のような存在はいなかった。 車の保険には加入していたけれど、ドライバー経験が浅いという理由でフルカバーの保険には入れなかったため、今回の自損は補償外。保険会社にも頼れない状況だった。

事故なんてもちろん初めてのことだったし、ましてや母国とは勝手の違う場所で、いったい何をどうすればいいのか、三人とも検討がつかなかった。

にもかかわらず、冷静さを失っている私に代わって、彼女たちはネットで情報を検索したり、警察に連絡を取ったりするのを手伝ってくれたりした。(ちなみ「110番」は、ニュージーランドでは「111番」)

しかし、なかなか警察に電話が繋がらない。

もうだんだん日も暮れて、風も冷たくなってきた。季節は夏に近づいていたけれど、ニュージーランドは"一日に四季がある"と言われるほど朝晩と日中の気温差が激しいので、夜通し野宿なんてしようものなら、凍死してしまう。

「寒くなってきたから、もう自分たちの車に戻って。あとは、自分でなんとかできるから大丈夫。本当に、ありがとうね。」

とお礼を言うと、彼女たちは

「まだ何も解決していないじゃない!あなたをこんなところに一人置いて、帰ることなんてできないわ!!」

と言って、引き続き、私のそばに長い時間付き添ってくれた。

やっと警察に電話が繋がり、私の持てる英語力、集中力をフル稼働させて状況を説明したけれど、警察官のニュージーランド訛りの強い英語を電話越しに理解するのはかなり苦戦を強いられた。ドイツ人の女の子たちも手伝ってくれ、なんとか意思疎通できたものの、警察官からの返答は驚くべきものだった。

「とりあえず、そんなに大きな事故じゃなくて良かったね!左のサイドミラー壊れてても車検的には問題ないけど、不安だったらその場に置いて、今日のところはもう遅いし帰りなよ。明日、友達とかに頼んで車は牽引してもらえばいいんじゃない?事故のレポートも後日近くの警察署で出してくれればいいから。じゃ、バーーイ!」

ちょ、まっ・・・!!!!?

ええぇぇぇ・・・・・・・。

フレンドリーなニュージーランド人の性格は好きだけれど、こんな深刻な場面でフレンドリーさを発揮されても困る。やっと電話が繋がったと思ったのに、期待外れにもほどがあるこの対応。 日本のようにすぐ現場検証に来てくれるわけでもなく、この状況を聞いて助けに来てくれる様子も一切なし!!一体どうなってんだこの国のポリスは!?しかも、「車置いて帰りなよ~」なんて言われても、車を置いてどうやって帰れというんだ!?と、一瞬憤ったけれど、怒るエネルギーもないほどに、そろそろ疲れを隠せなくなってきた。日本のありとあらゆるサービスが世界希に見る親身な対応を誇っているだけで、むしろこっちのほうがスタンダードなのかもしれない。ああ、もう泣きたい・・・日本に帰りたい・・・。

私が途方にくれている様子をみて、ドイツ人の女の子たちが「私たちが家に送ってあげるわ。今日はどこから来たの?」と申し出てくれた。

「ど、どこまでこの子たちは優しいんだ・・・!?捨てる神あれば拾う神ありとはこのことだ!!」

と、感激したのも束の間、

私は、今、"帰る家がない"ということを思い出してまったのだ・・・。

ニュージーランドに来た理由と来て早々壊れた夢

何を隠そう、私は訳あって職と住を一度に両方失ったばかりだった。

そもそもニュージーランドのワーホリに来たきっかけは、南島のテカポという町で星空ガイドの仕事に就くためだった。東京生まれ・育ちのシティーガールだった私にとって、綺麗な星空を見られる機会というのは非常に少なく、世界遺産に匹敵する星空と言われているこのテカポの地に強い憧れがあった。ニュージーランドに着いたらすぐにそこで働けるように、日本にいたときから事前にスカイプで面接を頼むほどだった。テカポは田舎だから車が運転できないと採用は難しいと言われれば、出国の1ヶ月前から教習所に通ってギリギリ運転免許を取ってみせるなど、全てはこの仕事のためだけに着々と準備してきた。この熱意が買われたのか、無事に"採用"された。

…と思っていた。

が、ニュージーランドの南島で一番大きな都市クライストチャーチに到着したことを知らせるやいなや、社員寮の空きの関係で勤務開始日を3週間ほど後ろにずらしてほしいとの返信が来た。さらに、現地で"最終面接"を行うので、それから最終的な採用結果を出すと言い出した。とはいえ、どうせ採用されるものと思っていたし、何の疑いもなくやる気満々でスタンバイしていた。

「クライストチャーチは都会だし、銀行開設とか車の購入とか初期準備をするには一番便利な場所だ。仕事が始まったら、旅行したり遊んだりする暇もなくなるだろうし、今のうちにエンジョイしておこう♪」なんて前向きに捉え、最終面接の日まで有意義に過ごしていた。

ついにその日がやってきた。実際に現地を訪れ、事務所にも案内してもらい、ツアーも見学した翌日、面接官であるマネージャーと最終面接をした。次々と当初の労働条件と違う内容を告げられた挙句、最後の質問で、

「というわけで、6ヵ月間死ぬ気で働けますか??」

と質問されたとき、私の心は・・・

「ノーーーーーーォォオオ!!!!!!」

と全力で叫んでいた。

夢にまで見ていたテカポの星空ガイドの仕事。もう手を伸ばせばすぐのところまでやって来た。

それなのに、なぜ????!!

自分でも戸惑い、混乱していた。できればこんな心の声、聞きたくなかった。日本ではテカポの星空ガイドになるんだと意気込み、家族や友達にもさんざん宣言してきたのだし、ここまで来て辞めるなんて考えられない。しかし、私の直感は、以前日本で新卒のときに働いていたブラック企業と同じ匂いを嗅ぎ取っていた。この会社は、のんびりと働く人々たちが暮らすニュージーランドにありながら、中身は典型的な日本社会の組織だったのだ。

欝病や過労死自殺を生むような日本の働き方にうんざりして海外に働きに来たのも一理あるのに・・・なんでここでも死ぬ気で働かなきゃいけないんだよ?!というのが本心だった。

しかし、現実問題、これを蹴ってしまったら、私は住む場所と仕事を一度に失うことになる。ニュージーランドに着いたらすぐにこの仕事を始める気でいたので、ワーホリ資金は相場より遥かに少ない額しか用意してなかった。仕事が始まるまでの約3週間、旅行に行ったり、中古車をローンで購入したりで、その資金さえも底を尽きかけていた。

何度も天秤のように「思考」と「直感」の間を揺れながら一晩過ごした。美しすぎるテカポの星空がとても皮肉に見えた。

旅人の心得

結果的に、「直感」を選んだ。今考えると、かなり無謀な選択だったと思う。しかし、

「心の声に従う」

これだけは、今回の旅の中での指針にしようと決めた。すると、幸いにも、この決断の潔さに感動して応援してくれる人たちが現れ、日本から仕送りをしてくれた。すぐに次の仕事は見つからず、路上ライブでギターの弾き語りをしてその日の食費を稼ぎならやり過ごした。住むところは、日本人のトモくんという友達のフラット(シェアハウス)に居候させてもらっていたが、そう長くお世話になるわけにもいかなかった。そこで、無料で宿泊できるキャンプ場があると聞き、そこで車中泊をするために向かっている途中で・・・まさかの事故。

家も、仕事も、お金もない。
唯一の"ミニホーム"だった車までも。

ドイツ人の女の子たちに簡単に事情を話すと、今まで居候させてもらっていた日本人の友達に今すぐ電話をして、今日だけは特別にフラットに泊めてもらえるように頼んだらどうかと提案された。

友人のトモくんは心が広いのでOKかもしれないけど、他のフラットメイトがどう思うか・・・。家賃を払えず居候していた私を、快く思っていない人がいるのは分かっていた。それなのに、またすぐに戻ってくるなんて、申し訳ないし、気まずいし、情けなさすぎる・・・ !しかも事故ったなんて、恥ずかしくて言いたくない。できれば避けたい選択だった。けれど、もうこんな状況で、そんなプライドを守ろうとしている場合ではない。これ以上、このドイツ人の女の子たちを夜遅くまで付き合わせるわけにもいかない。

意を決してトモくんに電話すると、フラットメイトに確認をとってOKを出してもらえた。本当に有り難い・・・。感謝しきれなかった。

彼は、私がニュージーランドに着いて右も左もわからないときから、親身になって助けてくれた。なぜそんなに心が広いのかと尋ねたとき、こんなことを私に話してくれた。

「僕も大変な時、色んな人に助けてもらった経験があるからさ。恩は返すんじゃなくて、また別の誰かに送り返せばいいんだよ」

ドイツ人の女の子たちは、キャンピングカー仕様に改装した車の後部座席に積んでいた荷物を整理して、私がギリギリ収まるスペースを作ってくれた。私は貴重品だけもって、クライストチャーチの市内にある友人のフラットまで連れて行ってもらった。

ああ、彼女たちにも色々と計画があっただろうに・・・貴重な半日を奪ってしまった。車に乗っている間、感謝と申し訳なさで一杯になり、口を開けば"Sorry"か"Thank you"しか言えないロボットのように連呼していた。

すると、女の子の一人が「はい!そこまでー!!」と遮って、こう言った。

"You don't have to say thank you or sorry, anymore. Well...you know, we, all travelers should help with each other!!!!"
(もうそんなに「ありがとう」も「ごめんね」も要らないわ。だって、ほら、私たち旅人は皆助け合うものなんだから)

We, all travelers should help with each other....

私たち・・・・旅人は・・・
皆・・・助け合うもの・・・

この言葉が私の心の中で何度もこだました。私はまた"Thank you"と言いかけた口をつぐんで、大きく顔を縦に振った。言葉の代わりに、涙が溢れてきた。

でも、心の中で、何度もありがとうを言った。お礼がしたいのに、何も返せない自分がもどかしかった。

無事にフラットに到着し、トモくんが出迎えてくれた。車を降りた瞬間、腰が抜けて地面に崩れ落ちた。震えと涙が止まらくなって、地べたに座り込んでしまった。ずっと冷静を保っていたけれど、緊張の糸が切れたみたいだった。「本当はこんなに怖かったんだな・・・」とこのとき初めて自覚した。そんな私を、トモくんやドイツ人の女の子たちは暖かくハグしてくれた。さらに、私のことを良く思っていないはずの他のフラットの子たちも出迎えて「大変だったね、怪我がなくてよかった」とハグしたり、優しい言葉をかけたり、暖かいお茶を差し出してくれたりした。

このときほど、人の"あたたかさ"を体感したことはあっただろうか。

このあたたかさに包まれて私はそのまま寝落ちしてしまった。

この後、事故現場に置き去りにしていた車を数日間牽引できなかったり、その間に窓が割られて車上荒らし遭ったり、これでもかというくらい踏んだり蹴ったりの展開がまだまだ続いた。

"これはもう帰国したら本でも書くしかないよ!全部ネタになると思って、乗り切って!!"と慰めと励ましをもらうくらい、波乱万丈な旅になった。(だからこうして書いている)

それでも、あの日の"あたたかさ"の感覚を思い出すと、なんとか乗り越えていくことができた。そして、

・どんなときでも直感に従うこと
・旅人同士、助け合うこと

この2つを旅の心得として心に刻みながら旅を続け、無事に1年3ヶ月のワーホリと3ヵ月の東南アジア旅を終えて帰国した。(というより、もはや帰還?)

帰国してから思うこと

やっぱりこの季節は日本で桜を見るのが一番だな、としみじみ感じながら、日本食と湯船を堪能した。波乱万丈にサバイバルしていた日々が嘘みたいに、平和な日々。

たくさんの出来事の中でも、やっぱりあの事故の時に助けてもらったエピソードは印象的で、今でもふと思い出すことがある。

あのドイツ人の女の子たちの連絡先、聞いておけばよかったなぁ・・・と悔やむけれど、当時はそんな余裕もなく、結局一期一会になってしまった。

でも、きっとそれでよかったんだと思う。

友人のトモくんが言っていたように、直接恩返しできないからこそ、別の誰かにその恩を送るしかない。

大きなバックパックを背負った海外からの旅行者が、日本の複雑な地下鉄で道に迷っているのを見かけると、ついつい声をかけてしまう。

「本当に助かったよ、どうもありがとう」
「どういたしまして。どこから来たの?」
「ドイツだよ」
「ドイツ?!私の恩人がいる、大好きな国だよ!私もいつか絶対に訪れようと思っているんだ」
「絶対に来るべきだよ。そのときは連絡くれたら案内するよ!」

通りすがりのドイツ人の女の子たちがしてくれたことに比べたら、道案内なんて到底及ばないんんだけど…

こんな風に、優しさの連鎖は巡り巡っていく。
こんな風に、他の国や人のことが好きなる。
だから私は、旅することがやめられない。

きっとこれからも、私の旅は続く。


この旅を通して作った"Traverler's Song~旅人のうた~"

こちらも併せて聞いてみてください♪♪ 旅好きなら誰もが共感していただける歌になっているのではないかなと思っています。歌詞には、ドイツ人の女の子の名言も入ってます!Youtube先の動画の概要欄に英語の歌詞と和訳も載せているのでチェックしてみてくださいね。ちなみに、ニュージーランド出国前日に、思い出の場所クライストチャーチで撮影しました!


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