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私が知能検査を受けた理由

病院で知能検査を受けてきた。

別に自分がどれだけ頭が良いか、もしくはどれだけ悪いかを知りたかったわけじゃない。
「知能」と言っても
推論する力だったり、
短期的に情報を頭に留めておく力だったり、
ミスなく正確に作業する力だったり、
色々な「知能」の種類かがある。
自分は何が得意で、何が不得意なのかを知りたかった。


私は不注意型のADHDだ。
やたらうっかりミスが多く、この特性には長年随分苦しまされてきた。
「この特性さえなければ」とどれだけ思ったことか。

困ったことに、ADHDは遺伝しやすい。
思えば私のこの特性だって、
祖母→父→私と受け継がれている。
となると、私の娘(現在1歳1か月)にも受け継がれるかもしれない。
不安だ。
しかも脳を作る大事な時期である妊娠初期にコロナにかかってしまった。

娘には同じ苦しみを味わって欲しくない。
赤ちゃん用サプリメントを飲ませたり(鉄は脳の発達に必要)
愛着を育てる関わりを意識したり(精神が不安定になるとADHDの特性が強く出やすい)、
睡眠だったり、お外遊びだったり、
とにかくADHDの特性を和らげる為に、
「打てる手は打っとこう!」という気持ち。

なのだけど、
「自分が苦しんだから、子には同じ思いをさせないように〜する」
という構造に違和感を感じる。

なんだろ、行動の発端が「私の不安」から来てるから?
なんか重いんだよね。
不安を押し付けてる感がある。
いやこれってホント「重い親」の典型じゃない?って思ったり。

思うに、これって私が幸せになれば解決する問題じゃない?
親である私自身が
「私ADHDだけど、今すごい幸せだよ!
だから娘もADHDだったとしても全然大丈夫!絶対幸せになれる!
色々あっても乗り越えられる!むしろADHDで良かった!」
と言えれば良いこと。

サプリも愛着形成もいいけど、
不安からくる必死さでやるより、
もっと楽しんでできたらいいよね。
(伝わるかな、このニュアンス…同じことをするにしてもスタートの感情が違うと何もかもが違うようなこの感じ)
「不安」に子育ての舵をとられたくない。

私はどうしても自分がADHDであることがかなりのコンプレックスで、
「私ってダメなやつ」という思いが拭いされない。

でも、娘の健やかな心身の成長の為に
「私ちゃんと幸せになろう」って思った。

その一歩として、自分のことをちゃんと知ろうと思った。
だから知能検査を受けた。
何が得意で、何が不得意なのか。
どうしたら自分の得意を活かして、そして不得意を人と協力して、どうやって楽しんで仕事ができるのか。
「仕事」は私の人生の中でかなり重要な位置付けにある。
「自分の使い方」にもっと詳しくなって、人生を楽しもう。

そして娘に「大丈夫!大丈夫!」と実感を持って言ってあげられる親になりたい。
例え娘が悩むことがあっても、
その時の娘以上に娘のことを信じてあげられる存在になりたい。


いつしか「娘には元気でいてくれればそれでいいと思うようになった」ってnote書いてたけれど、
まだまだ不安が心の底にいたんだなぁと気がついた。
私にとって、我が子と関わることは、私自身のコンプレックスや不安との戦いなのかも。
そして自分自身を知って、自分と仲良くなる機会をくれるものであるといいと思う。

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