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【cinema】ゲアトルーズ Gertrud、元旦の過ごし方

元旦から、我が子(ただし犬)は古傷を疼かせ病院に行き、孫にお年玉をあげようとして近くまで車を走らせていたら、ラジオから日本海側の大きな地震の悲しい臨時速報。新年、正月の効力が及ぶのはなんとちっぽけなことか。

ここ数年、元旦は家族の友人が集まり夜通し麻雀大会となる。実は麻雀のエリート教育を受けている私はできないわけではないが、あんまりする気になれず、義母亡き後ろくな正月準備もしなくてお節料理も皆無(1月1日の昼も美味しいパンとゆで卵とサラダとヤクルトをいただいた)、でも滅多にない来客は嬉しく、なぜか大根の煮物と、五目ご飯、雑煮の準備だけする。どれも出汁をちゃんと取ってきちんと刻んで野菜を多すぎないようにすればなんとかる。料理のセンスも皆無だが、製菓、製パンはなんとかできる。その違いは計量の違い。お菓子類は正しく計って、レシピの通りつくればセンスは問われずそこそこ作れることを知っているので、料理の類も、人に供する場合は、ネットに載っているレシピをきっちり踏襲する。それが最善策。謙虚さって大事。

さて、上記の3品の仕込みを済ませて、お年玉を渡しに近所の孫宅まで行き、元旦から作品をかけてくれるありがたい映画館に足を運ぶ。前々から楽しみにしていたわけではないが、1日サービスデーだったのと上映時間の折り合いがついてシアター・イメージフォーラムまで「ゲアトルーズ」を鑑賞。

「奇跡の映画、カール・テオドア・ドライヤー コレクション」、奇跡の映画って!デンマーク映画もこの監督もとんと不案内だが、あと、人名なのかも馴染みのないゲアトルーズって響きもなかなか惹き込まれた。
1964年って東京オリンピックか。時代設定がちょっと古いのかな、主人公のゲアトルーズは弁護士夫人で、私の感覚では「愛」が大事なんだけどちょっと拗らせていて、夫に不満をおぼえ(伏線あり)、若い音楽家にうつつを抜かしてふられ、でも自己肯定は忘れず、嘘偽りはなくともちょっと計算なき卑怯な節もあり、それでも「ゲアトルーズ」を生きることに忠実な女性の話。
ジェンダー観がアップデートしている昨今、70年前の物語にはどうしてもツッコミどころが出てくるのだが、それでも彼女のブレなさは感服した。ストーリーはこれまで話して自明のようにやや緩慢なのだが、監督のドライヤー氏の映画作りの精緻さ、ひとつ一つの画面の丁寧な作り込みに妙に集中させられる。
モノクロで、長回しの会話シーンがほとんど、部屋の小道具全ての意味づけに無駄がないインテリアのレイアウトは、珍しさも手伝って画面のあちこちに良い意味で意識が飛ぶ。演劇チックな視線のベクトルは、会話が成り立ってないような画角なのだけど、でも、会話って実は全力で相手に向かって話したり聞いたりしていないよね、自分への問いかけや確認をたまたま聞いてくれるかもしれない相手がいるだけかもって真実がその視線のずれに出ていて、会話の滑稽さを丸裸にしている。
ヘアスタイルは作り方が最後まで謎だったんだけど、ゲアトルーズの抑制が利いた美しさが秀逸。割と奔放なセリフが少なくないけど、クールに、表情を見出しすぎず、上流階級の夫人らしい佇まいでぽんぽん云うのが結構面白い。
彼女がうつつを抜かす若手音楽家エアランのむき出しな感じにデジャヴを感じるのはなぜだろうか。まあいいや。
この作品は、ストーリーではなく、スクリーンでこそ見つけられる映画の楽しみを噛み締められるのが持ち味。そして内容こそ少し時代の古さがあるけど、映像は全く古くないのが好き。
ゲアトルーズは元歌手で、数回突如歌うシーンがあったんだが、あれは本人なのか、当て振りなのか、あまり役者の情報がなくてわからなかったのが残念。

今年は観たらすぐに思ったことをメモするようにしよう。

元旦の夜の青山通りは流石に閑散としていて、妙に正月気分をここで味わった。

宮益坂上あたりから表参道方面を見る。

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