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【12】 ハレの日、ケの日

【12】 ハレの日、ケの日
小学校の登校時間にあわせて学校に向かう。朝の電車の空気は重い。学校に着くと先生は私たちを期待の表情で迎えてくれた。学校公演は、 子どもたちとの距離が近い。私たちは、音楽家として迎え入れられるわけだが、その前提をちょっとだけズラしたくなる。「 ハレの日」のコンサートの儀礼を体験してもらうことは大切だ。でも音楽することは決して特別なことではないことも知ってほしい。それは音楽=クラシック音楽ではなくて、もっと広く。 誰かのハレの日とケの日が交差する。互いの「そのとき」を侵食してはならない。夢は夢として守る。でもどこか安全な場面で、裏舞台をずらして見せることで、権威が親しみに変わったり、音楽することについて考えるきっかけになるから、《音楽家》ではなく、音楽を行為としてとらえる〈音楽家〉として、そうじゃない姿をあえてみせる。らしくないふるまいを適度に見せることが、伝統からのプチ逸脱になり、その場を和ませる。この日もわたしは、本番の合間に、普通に友達の誕生日を祝ったり、突然のニュースに一喜一憂したり、以前舞台を見てくれた人に対してギャップを見せるということをやっていた。

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