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回顧録「コロナ時代の私」7 大晦日も22時には家に帰るシンデレラ

(これまでの話から続いています)


クリスマスと年越しはどう過ごしたか。こんな状況において何ができるというのだろう・・・。通常、クリスマスイブは友達や家族と軽く魚料理、クリスマス当日の25日は親戚一同が集まって祖父母の家で大昼食会が開かれる。この大食事会と言うのは夕方の4時ごろまで延々と食べ続ける宴なので、それはそれで体力を消耗するし、これが終わったらダイエットしなければいけないし、何時間も親戚のオヤジ連中とおしゃべりするのも面倒なので、普段は隙あらば逃げたいと思っていた私だったが、できない、やるな、と言われると、ちょっと話は違うのである。

クリスマスイブから規制がかかってどこにも行けなくなったので、家でちょっとだけ豪華なご飯を食べた。例年同様、サンタさんのためにクッキーを焼いて夜には机の上に置いておいた。これは私が子供の頃から毎年やっていること。サンタさんだけは外出できますように。

そしてクリスマス当日の朝は、例年通りクリスマスツリーの下に置いておいた例年より数が少ないプレゼントを開けた。毎年行われる祖父母の家での大昼食会は、老人にうつす危険を避けるため今年は中止された。その代わりになぜかランチに伯母が来た。ピザを宅配して食べた。
これがクリスマスですか? 私は楽しくなくても楽しいふりをした。

翌12月26日は聖ステファノの日でイタリアは祝日だ。ゆえに外出禁止令は26日まで続いた。27~30日は一瞬、規制が緩み、また31日から正月3が日は年越し、および新年で人々が大騒ぎするのを防ぐために規制が厳しくなった。本来大みそかは友人たちと食事して、日が変わる頃には、どこかへ爆竹を鳴らしに行ったり、踊りに行ったりするのだ。旅行に行って、外国で年越しをしたこともあった。

が、今年は、31日は人数制限付きで他の家庭を訪ねることは許されていたが、いずれにしても夜22時から翌朝5時(元旦は6時までだった)の夜間外出禁止令があるので、年が変わる瞬間を友人と共に祝うことはできなかった。22時前には家に到着するために、慌てて食事をして、食べたらすぐ逃げるようにして家に帰った。そして家でテレビを見ながら新年を迎えた。罰金を覚悟で外に出かけたのか、中庭などであげているのか0時には爆竹の音が、例年より弱々しく響いていた。

つづく

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