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空に照明弾を打ち上げる

時々思うことがある。
私はTwitterを通して誰かに「ここにわたしがいる」ということを知らせたいのではないかと。

私は幼いころから他人と会話するということが得意ではなかった。別に人嫌いだったわけではない。単に私にとって相手の表情などから本人の気持ちを感じ取る・話していることを聞いて短時間覚えておく・相槌を打つ・自分の考えをまとめて相手に伝えるetcという一種のマルチタスクをするのが上手くできないのだ。

だけど人と繋がりたいし多少は会話らしいこともしたかった。
そんな私が活路を見出したのがネットの世界だった。
文章を読むのが好きだし書くことも人よりは得意でパソコンの前に座ってブログのコメントやBBSに「わたしもそれ好きです」「おもしろいですね」と伝えたかった事を書いて返事が来た時に私は顔を見たこともない相手に対して誠に勝手ながら感謝をしていたものだ。

こんな私に丁寧なお返事をありがとう、と。

月日は流れてTwitterを始めた時、私はネットに自分の話を書き込む立場になった。Twitterは川の流れのように芸術科学文化政治はたまた便所の落書きまで玉石混交の情報が流れている。その中で私は自分のささやかな日常を発信してきた。それは日記のようで、でも時には過去形で書かない「いま」を発信している。

私はどうしてTwitterをやっているのかと自分に問うた時、それは夜が明けない海の上に浮かぶ絶海の孤島に住む私が何とかして誰かに自分の存在を知ってもらおうとして照明弾を夜空に打ち上げているイメージが浮かんできた。

助けが欲しいんじゃない、ここに生きている人がいるんだよ。
呟きという照明弾を夜空に打ち上げると近くの島に住む人もたまたま通りがかった船の船員もリプライやいいねという照明弾を放ってくれた。そして誰かが打ち上げた照明弾に私も応答した。

誰かとコミュニケーションを会話以外でとれている自分がいるということは、今まで会話に苦労してきた自分が報われているような気分だった。私にとってTwitterは自分を肯定するために必要な何かなのだと今は強く思っている。





長々と書いたが一番言いたいことはこれだ。
「イーロン・マスク絶許」

恵麻


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