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いつまでも夢を見ている

実家に帰る度に必ず手に取って見直しているものがある。それは10代の頃に書き続けた小説とその設定集だ。それはあまりに稚拙で、人に見せられないものだ。だけどそれは私が必死に生きようともがいていた跡が確かに残っている。

私の子供時代は決して順調で幸福だったとはお世辞にも言い難い。物心つく前に父は家出し、成長しても病気ばかりで満足に外で遊んだ記憶もほとんど無い。そして家の中では常にいざこざが絶えず、小学校にも馴染めなかったしいじめられた。
生活していくだけで精一杯の生活で私が見出した娯楽は本だった。毎週図書館に行って目いっぱい本を借りて頭に叩き込む勢いで読む。本を読んでいれば親は何も言わないし、趣味らしい趣味だ。本に飽きたら家にある古いビートルズやクラシックのCDとカセットを聴くか母親が集めたVHSと古いマンガをこっそり見て読んだ。そうして私は暇さえあれば物語と空想の世界に入り浸っていた。

こうして体内に怒りとイマジネーションを溜め込み、それは13歳で爆発した。私はある日鉛筆と裏が白いスーパーのチラシを握りしめて自室にこもるとそこに物語を書き始めた。主人公は私だった。私の本名からイニシャルを取って名前をつけた少女だった。

少女は色んな世界にいた。ある時は親から愛されたことのない我儘なお嬢様で愛を求めて激しく一人の男へぶつかっていく。またある時は幸せな3人家族の娘だったけど世界は戦争をしていて時代に翻弄されても力強く生きようとした。近未来で火星や月に人類が進出した時代に、火星で生まれた地球人としてアイデンティティを探すこともあった。ジャンヌダルクのように権力や独裁に立ち向かうために群衆を率いたことも一度や二度ではない。

上に挙げたのは一部だし、設定だけ書いて小説にしなかったものもある。私が常に書いていたのは困難や孤独のなかにあっても希望を探し求めずにはいられない少女の成長だった。登場人物は何であれ最後はみな救済される。
私は物語を想像して書きながらいつかこの状況を打破できる日が来ることを願っていたのかもしれない。そして疲れ果ててこの世から消えたい駆られた時は物語をここまで書いておきたいと考えることで延命していた。

いま、書いた物語を読み返すとそこかしこに子供の頃から読んでいた本や映画の影響が残っていることと、トラウマや怒りに自分なりに折り合いをつけようとした跡があることに気づく。白い紙に私はひたすら怒りと悲しみ、そして想像力をぶつけて生きようとした。それは私にとって必要なことで、それが無かったら発狂していてもおかしくなかったかもしれない。

高校を卒業して家を出る時、私は秘密の場所に物語を隠した。愛用の古びた鉛筆は上京するときの荷物に入れなかった。もう私に物語を書く必要はなさそうだったからだ。それでも想像力は消えなかったし荷物にならなかったからいつでもどこでも一緒だった。
今だって馬に乗ってオスカル様とフランス革命に身を投じたいし、ジュラシックパークでティラノサウルスに追いかけまわされたい。クラリスになってハンニバル・レクターと会話したいし、エクスペンダブルズの仲間に入るのも悪くない。小林少年になって明智小五郎と難事件を解決したいのは子供の頃からの夢だ。惑星パンドラでアバターになってイクランの背中に乗って飛び回りたいし、おっさんみたいな名探偵ピカチュウと暮らしたい。

ここではない世界が物語にあってそれは自分で紙と鉛筆を使って作りだせること、想像力が人生を助けてくれることに気づいたから私はここに立っている。


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