咲舞(えま)

自分のこころを書き留めたい

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最近の記事

社交性の欠如を仕事の出来でカバーしようとしていた話

 大学のサークルで、なんとか自分の居場所を作ろうと躍起になっていた私の話です。  大学入学とほぼ同時にサークルに入って3年目になりました。小さな大学の、30人にも満たない小さなサークルです。中学生の頃からずっと続けている競技を、大学でも続けたくて入ったサークルでした。1年目の春、私と同時期に入会した女子メンバーは私を含め3人でした。  サークルに入ってすぐの頃は、新しい友達ができることが本当に嬉しくて、自分から積極的に話しかけたり、苦手な誕生日の記憶も頑張って、誕生日当日

    • 打倒「私、人見知りなので」

       大学の図書館で、面白そうな本に出会いました。古宮昇さんによる『人と会うのが楽しみになる心理学 一緒にいてラクな人 疲れる人』という本です。とても興味深い内容であっという間に読み終えてしまいました。その中で「『私人見知りなので…』と言う人」について言及されていました。これは「『一緒にいて疲れる人』になってしまう要素のひとつは、自分から与えようとしないことである」ということの例として出てきたもので、この本の本題を表しているわけではありません。しかし、私自身が以前よく使っていた言

      • 心理学的視点からボードゲーム「ito」を考える

         先日、サークルの仲間とボードゲーム「ito」で遊びました。「ito」は、1~100までの数字が書かれたカードと「お題カード」を使って遊ぶゲームです。私はこれまでこのようなボードゲーム(パーティゲーム?)にあまり馴染みがなかったのですが、今回この「ito」をプレイして、以前私が臨床心理学の授業で習った「グループアプローチ」の考え方に近いものを感じました。  今回は「ito」の正式なルールではなく、「ito」の核となる部分のみを残した独自ルールを用いてプレイしました。プレイヤ

        • 内向的×人好き

           私は自分のことを内向的であると捉えています。しかし、内向的でありながら人と関わることが好きです。ゆえに、人付き合いについて常に悩んでいるように思います。この記事では、そんな「内向的×人好き」の私について考察します。  「16タイプ性格診断」が一時期話題になったせいか、「内向的」「外向的」という言葉も社会に馴染んできたように思います。「内向」「外向」という考え方は20世紀の心理学者ユングが提唱したもので、「内向型」は自分の内面や感情に目を向けることを好み、「外向型」は外の世

        社交性の欠如を仕事の出来でカバーしようとしていた話

          幸せの閾値

           限りある人生、どうせならなるべく幸せに生きていたいものです。どうしたらより幸せに生きていけるのか考えたときに、「幸せの閾値」という考えにたどり着きました。自分の中でふと思いついた言葉ですが、少し調べてみたら「幸せの閾値」の考え方は以前からあるみたいです。自分の発想も的外れではないようで安心しました。  私自身、「幸せの閾値」はかなり低い人間だなという自覚があります。いわゆる「チョロい人間」です。一方で、私の周りで一番「幸せの閾値」が高そうな彼は、自他ともに認める完璧主義人

          無自覚ルッキズム

           「人を見た目で判断しない」これだけのことがどうも上手くいかないみたいです。「人を」なんて言いましたが、私の場合は「自分を」見た目で判断してしまいます。  私の周りには、可愛い友達がたくさんいます。きっとみんな私には見えないところでたくさん努力をしています。そんな可愛い友達と一緒にいる時は、「私の友達可愛いでしょ〜」なんて思いながら、なんとなく自分自身も誇らしいような気持ちになります。  でも同時に、「それに比べて自分は…」がやってくることがあります。みんな「可愛い」のた

          無自覚ルッキズム

          不安癖

           何も原因が見当たらないのに、なんとなく不安な気持ちになってしまいます。最近、不安で気分が沈んでいることが多かったから不安な気持ちでいることに慣れてしまったのかなって思いました。  少し前までは、明確に原因がありました。それは、私が所属しているサークルでの人付き合いです。しかし、それについてはサークルの仲間のおかげで少し解決へと進みました。まだ完全に解決したわけではありませんが、それに対する不安についてはかなり軽くなりました。  悩みの種がなくなったはずの今でも、ふとした

          「何も考えない」を考える

           何も考えていない状態、言わば頭がからっぽの状態を作ることは私にとって難しいことだと感じます。頭をからっぽにしようとしても、次々と余計な考えが頭の中に浮かんでは消えていくような感じがします。  1人でずっと、ラジオみたいに頭の中で一方的にしゃべり続けているようなこともあれば、落語家みたいに自分と誰かの会話を空想していることもあります。この空想は、過去の会話を思い出していることもあるけれど、ほとんどが実際には存在しない会話です。現実の会話ではああ言ってしまったけど、こう言って

          「何も考えない」を考える

          ラベリングという呪い

           大学の授業で、ラベリング理論について勉強しました。ラベリングとは言わばレッテルを貼ることで、「あなたは〇〇だ」というように他者に向けられるものもあれば、「自分は〇〇だから」というように自分に向けられるものもあります。  ラベリングをすることはある意味「呪いをかける」ようなことであると感じました。例えば、他者から「あなたは〇〇だよね」とラベリングをされたけれど、ラベリングをされた本人が自分ではそう思っていなかったら、「自分は〇〇でなくてはならない」と自己の在り方を押し付けら

          ラベリングという呪い

          他人軸の「好き」

           私が、ちょっと苦手だなって感じる友達の話です。その友達の好きなところを挙げてみて、と言われたら、私はきっと答えに困ってしまいます。それなのに、どうして私は彼女のことを「友達」と思っているんだろう?なぜ彼女のことを好きだと思えるのだろう?ふと疑問に思ったので、答えを考えてみることにします。  初めに思いついたのは、「惰性」という言葉でした。一度「友達」として親しくなったから、なんとなく友達を続けているのだろうということです。  彼女とは高校の部活で知り合いました。人見知り

          他人軸の「好き」

          過去に縋る

           過去の栄光にばかり目が向いて、今の自分を否定し続けている友達の話です。独りになると思い詰めてしまって、自分をわかってくれる人がいない、自分には何もない、みんなが思っているほど自分はすごい人間じゃないって自分を否定してしまうんです。できることたくさんあるじゃん、と私が言っても、できるように見せているだけ、常に見栄を張っているんだって言います。「みんな前に進んでいるのに、自分は未だ過去に縋りついている」「今の自分に誇れるものなんてない」と私に話してくれました。  たしかに、子

          知識は色鉛筆

           最近、知識って色鉛筆みたいだなって思います。いろんな色を持っていれば、より彩りのある世界を描くことができるし、知っている色の数が多ければ、同じ世界を見たときによりたくさんの色を見つけることができます。知識がたくさんあれば、世界の彩度が高くなっていくような気がします。でも、あんまりたくさんの色を使おうとすると濁ったり迷ったりしてしまうのかなって思います。たくさんの色を持っておくことが大事だと思うけれど、上手な色の選び方、使い方も一緒に学んでいくべきだなと思います。

          知識は色鉛筆

          共感とアドバイス

           先日、友達にこんなことを言われました。 「俺が何を言っても肯定するばっかりで、こっちの話には興味ないのかなって思う」  私は彼の発言に驚きました。私は目の前の友達が嫌な思いをしないように、そう思って話を聞いていたつもりでした。  たとえば、友達の失敗談を聞く時。私は、相手の話を受け止め、認めることを心がけていました。「そうだったんだね、大変だったね」「〇〇なりに頑張れたならそれでいいじゃん」「次頑張れれば大丈夫だよ」といった具合に、相手を元気づけるようなことを言うよう

          共感とアドバイス

          「嫌だったら言って」と言われても

           「あなたには嫌な思いをさせたくないから、私の言動で嫌なことがあったら遠慮なく言って」と言ってくれる友達がいます。しかし、私はどうもこれが苦手なようです。  「不満を伝える」という行為は、少なからず相手に嫌な思いをさせてしまいます。相手はきっと悪意があるわけではありませんし、自然に振る舞っていただけで不満だなんて言われたら悲しいに違いありません。相手に嫌な思いをさせるくらいなら、私が我慢すればいいや、なんて思ってしまいます。不満を伝えるということが、自分のわがままを押し付け

          「嫌だったら言って」と言われても

          恋人観

           大学の授業で、「恋人がほしいと思う人の心理について考える」という回がありました。そういえば、なぜ「恋人がほしい」と思う人がいるんだろう。「特定の人と恋人関係になりたい」ではなく。恋人が一度もできたことがないまま19年、もう少しで20年になる私ですが、なんにも知らないなりに考えてみることにします。  まず、同性の親しい友達に聞いてみました。すると、「無条件に自分のことを肯定してくれる存在がほしいってことじゃない?」という意見をくれました。「肯定」という言葉の扱いが難しいと感

          いつまで経っても先輩になれない

           これまでの人生で、自分が「先輩」になる機会が何度もありました。そのほとんどは部活動における「先輩」で、自分が学年を重ねることで自動的に「先輩」と呼ばれるようになったものでした。今、また私は「先輩」になるかもしれないというところにいます。  私は今、大学の部活動に所属しています。1年生として活動に参加していたこの1年間は本当に気楽なものでした。何につけても先輩が私たちを気にかけてくれていたし、困ったことがあれば何でも先輩に助けを求めていました。言ってしまえば、何一つ不自由す

          いつまで経っても先輩になれない