過去に縋る

 過去の栄光にばかり目が向いて、今の自分を否定し続けている友達の話です。独りになると思い詰めてしまって、自分をわかってくれる人がいない、自分には何もない、みんなが思っているほど自分はすごい人間じゃないって自分を否定してしまうんです。できることたくさんあるじゃん、と私が言っても、できるように見せているだけ、常に見栄を張っているんだって言います。「みんな前に進んでいるのに、自分は未だ過去に縋りついている」「今の自分に誇れるものなんてない」と私に話してくれました。

 たしかに、子どもの頃の彼はキラキラと輝いていて、充実した毎日を送っていたのかもしれません。彼は、若かりし彼が思い描いていた未来とはかなり違う今を歩んでいるのかもしれません。「デキる」人間として生きてきた時間が自分自身への期待となり、彼にのしかかっているんだろうなって思います。彼が身にまとっている期待という服は、彼にとってはあまりにも大きすぎます。だから上手に着こなすことができなくて、そして上手に着ることができない自分を、自身にかけた大きすぎる期待に応えられない自分を、ひどく惨めで情けないと思っているようです。

 でも、彼が、彼自身に課した期待に応えられないのは、そもそもの期待が大きすぎただけです。身の丈に合った期待やプライドを抱えて生きることができればどんなに楽になるか。ただ、私には身の丈に合ったプライドの抱え方なんて分かりません。期待をかけるのは自分だけじゃないし、むしろ周囲からの期待の方が重たいことだって多いです。

 身の丈に合った期待。これは私の課題でもあります。私は彼とは正反対で、自分自身にこれっぽっちも期待していません。そうすれば、どんな結果になっても「期待よりは上手くいったな」って思えるから、自分が傷つかずに済むのです。しかし、自分のこころを守ることに特化したこの考え方には、前に進む力はありませんから、全く期待しなければいいというわけでもありません。期待が大きすぎる彼も、全く期待できない私も、それぞれの生きづらさがあるのだろうと思います。

 ここでひとつ思うのは、「前に進んでいない」と言う彼は決してダメな人間ではないということです。前に進み続ける人はたしかに素晴らしいとは思うけれど、だからといって前に進めず停滞している人に価値がないということにはなりません。「今の自分に価値がない」なんて言うけれど、今は過去と繋がっています。過去があって今の自分がいるわけだから、切り離して考えていいものではありません。ましてや彼は、過去の自分をとても輝かしいものだと思っています。だったら尚更、みんなより先に進んでいると考えたっていいと思うんです。『うさぎとかめ』のうさぎのように、みんなより進んだところで、みんなが追いつくのをゆっくり止まって待っていたっていいんじゃないのかな。童話では、うさぎはかめに追い抜かれてしまったけど、彼は違います。私たちがまだまだ追いつけないようなところにいると少なくとも私は感じています。彼はまだまだ先にいる。できることがたくさんある。たまたま彼が走り始めるのがみんなより早くて、しかも走るのが速かっただけです。少しくらい休憩したっていいじゃん。

 今と過去を切り離して今の自分を否定してしまうのが良くないってだけで、自分の過去に誇りを持つことは悪いことじゃないと思います。「こんなことをしてきたんだから、私は大丈夫」過去に縋る彼もそんなふうに思える日が来ることを願っています。

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