無自覚ルッキズム

 「人を見た目で判断しない」これだけのことがどうも上手くいかないみたいです。「人を」なんて言いましたが、私の場合は「自分を」見た目で判断してしまいます。

 私の周りには、可愛い友達がたくさんいます。きっとみんな私には見えないところでたくさん努力をしています。そんな可愛い友達と一緒にいる時は、「私の友達可愛いでしょ〜」なんて思いながら、なんとなく自分自身も誇らしいような気持ちになります。

 でも同時に、「それに比べて自分は…」がやってくることがあります。みんな「可愛い」のために努力しているのに、自分は頑張れていない。可愛くなりたいと思うのに、そのための努力ができない。「努力する力」みたいなものがない自分に心底嫌になります。

 友達が周りの人に「可愛いね」と褒められているのを隣でニコニコ聞いている時間。嬉しいと虚しいが同時にやってきます。嫉妬とか羨望とかそんなんじゃなくて、ただただ自分の意志の弱さに失望します。私が可愛くなれないのは、意志が弱くて頑張りきれないからだと強く思います。意志が弱い自分も、それをわかっていながら動けずにいる自分も嫌いです。

 自分の容姿について考えているうちに、「頑張れないから可愛くない」という自分だけに向けられていたはずの思いが、気づかないうちに「可愛くない人は頑張れない人」という風に形を変えて他人へも向いてしまっているかもしれないと思いました。誰もが可愛くなりたい、良い容姿でいたいと望んでいるとは限らないのに、ひどく見た目に囚われてしまいます。自分の容姿が嫌いなばかりに、容姿にばかりこだわってしまっているようです。

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