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きっと、夜が明けるように

かつて、世界は平和だったという。

花の都、鮮やかな文明、透き通る空。
子どもの歌も、ささやかな風の音も、誰かの笑い声も。
穏やかで優しい日常が、この世界にはあったという。

   *

辺り一面は燃え盛る瓦礫の山だった。
黒煙が立ち上り、叫び声ばかりが聞こえてくる。

「ありがとう」
──いま、なんて?
わたしの腕の中で温もりを失っていくその子は、笑っていた。
「助けてくれて、ありがとう」
──助けてなどいない。
その証に、今だって息をするので精一杯じゃないか。小さな胸を上下させるたび、体から液体がこぼれ落ちていくじゃないか。
「……違う、わたしはただ」
「さいごに、」
震えるわたしの声を遮るように、か弱く、けれど凛とした少女の声が響く。
「さいごに、私を見付けてくれて、ありがとう。
ねえ、いつか、──────」

そう言って目を閉じたその子は、どんな生涯を送ったのだろう。
わたしは何も知らない。ただ、喧騒の中で倒れていたのを拾い上げただけ。命を救うことも、家族に会わせてやることもできなかった。
それでも、ありがとう、とあの子は言った。

剣を取ったその日から、人を傷付けることしかできなかったこの手が。誰かを睨み付けることしかできなかったこの瞳が。たったひとり、生きることだけを考えてきたこのわたしが。
誰かの救いになり得たのだろうか。

   *

かつて、世界は平和だったという。
血に塗れた動乱のこの世にも、いつか平和は訪れるだろうか。
『いつか必ず。きっと、春が来るように』
もう顔も思い出せない、遠い昔にいなくなった友よ。
わたしの問いにそう答えた君は、今もどこかで世界を見つめているんだろうか。
唇を噛み締めて、涙を浮かべて、それでも信じて待っているんだろうか。

あの日、わたしに微笑みかけた少女を思い出す。
『ねえ、いつか、みんな笑って暮らせる日が来るかな?』
まだ十にも満たないであろう子どもは、わたしの手を掴んでそう言ったのだ。

「いつか必ず。きっと、夜が明けるように」


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