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「夜の案内者」かえりみち1

 アサは避難所から離れた暗く冷たい土の上に、両足を抱えて座り込んでいた。手元にはロウソクを乗せた銀の器。器は青い人が入っていた部屋を切って曲げたものだ。空を見上げても星は見えない。インクをこぼしたようにただ黒いだけの空。多くの鼠たちが死に、それでも生き延びた鼠たちから、長く残る者が現れ出している。ルゥの抗体が定着し始めているんだ。これからこの町はどうなるだろう。そして、わたしは。
 右頬の皮がずり落ちそうになり、アサは少し上を向いて押さえる。指先が黒ずんでいる。食べなくなって何週間も経つのに、食欲がわかなくなってきていた。
 一人がこれほど孤独だとは思わなかった。この列車に乗る前はずっと一人で旅をしていたはずなのに、いつもあったものがなくなるというのが、これほどまでに堪えるとは。幸福を知らなければ、不幸を感じることもなかった。闇と寒さが疲労を増幅させるが、後悔はない。
 アサは土の上で横になる。目を閉じて眠ろうとするが、寒さで眠りが妨げられる。身体を丸め、膝に頬をつける。この夜は、簡単には明けない。もう進むべき場所も帰る家もない。一緒に歩いてくれる人も。アサは顔を膝につけたまま、泣く。それから顔を上げて、徐々に叫ぶように。理由なく、ただ無意味に泣いてみたかった。他にすることがなかったから、アサは泣いた。泣き声が遠くの空に響いていくようだ。声が遠くまで響くのを聞きたくて、さらにアサはただ作業するように泣いた。
 震える声をしゃくりあげた瞬間、大気に聞き慣れない音が混じっているのに気づいた。とても長く、低い、誰かの呼ぶ声のような。
 それが鐘の音だと分かった時、アサは立ち上がっていた。徐々にはっきり聞こえてくる。列車の出発を知らせる音じゃない、これは。
 アサはその音に確信があった。「帰り道」を知らせる鐘の音。ティルクの塔からだ。鳥たちはあの鐘を鳴らせたんだ。胸が高鳴る。

(あれがきこえればね、カエリみちがちゃんとわかるの)

 アサはヨルのくれた帽子をかぶり直し、町の外へ向かう。足に力が入らずに倒れ、ロウソクが遠くに飛んだ。アサは手を使って立ち上がると、闇夜に浮かぶ砂丘の影を目指して歩く。顔の右側がただれるように溶けていて、アサの右目はほとんど開かなくなっていた。
 死骸の壁の横を通り、両手を使って砂丘を登る。顔に砂が当たり、こすった皮膚がさらに剥がれてくる。痛みはほとんどなかった。
 その時、空全体に鐘の音が響いた。これは、列車の出発の合図の鐘だ。

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小説投稿サイト「エブリスタ」で連載中の「夜の案内者」の転載投稿です。
物語のつづきはエブリスタで先に見られます。

▼夜の案内者(エブリスタ)
https://estar.jp/novels/25491597/viewer?page=1

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