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人間関係の断捨離時期だと感じる時【追記】

この記事はひとつ前の「人間関係の断捨離時期だと感じる時」の追記です

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追記:
以前の記事に登場した、
私が人間関係の断捨離時期に来ていると知らせてくれた二人に関して共通するところを振り返ってみようと思う。


その人が周りにいる生活が当たり前だったところ。
私自身も楽しんでいたところ、頼りにしていたところ、
当たり前のように毎日がそうだった。


しかし、二人に対して私が思ったことは
「この人たちにとって私って何なのだろう?」という不信感だった。

私という存在をどういうふうに見ているのかわからなくなった。
私という存在を認めているのか、認めたくないのかではない。
私との繋がりに関して、相手の思っていること、やっていることがわからなくなってしまった。

こちらは何もしなかったのか?
いや、そうではない。そこは確実に言える。
でももうその先が見えなくなってしまい、私の中には醜い感情が生まれてしまった。


ある人に
「どうして人は、頑張らない、という選択肢を取り、頑張る人を自分と違うんだと羨んで終いにしてしまうのだろう。
そこはもう成長はない、退化しかない。
現状維持を努めるには成長は必要不可欠なのに、それでいても、そのままでいいと言って他の人間の利益を羨む。なぜかそこで 自分と人は違うからという有り体の言い訳をつけて変化を拒む。
そして自分はこういう人間だから仕方ないのだと言い聞かせる」
と聞いた。

すると
「成長しない、頑張らないほうが楽だからだよ。みんな楽なほうがいいじゃないか。楽に時間を過ごして、楽にお金を稼いで、楽な人間関係で、諍いもなく、それで過ごせればいいじゃないか。そう思うからだよ」
と返ってきた。

私は
「でもそれだと、たとえば人間関係だとすると真面目にやっているこちらの時間と労力と誠実さは搾取されているように思える。
仕事だと、どうして自分だけがこんなに苦しい目をしてお金を稼いで相手の分も稼いでやらねばならないのだと思う。
時間だと、どうして自分の貴重な時間をと・・・。
でもそこでの努力は無駄なのかというと、決してそうではない。
そこで培った努力の過程は人生においては財産なんだ。
誰にも奪われない唯一の自分の自信にも繋がる。一生物の宝物なのに。」


相手は続けた。

「だから、その価値がわからない人間のことを
 自分とは価値観が違う、レベルが違う、と言って人は切り捨てるんだよ

とおしえてくれた。


「いつも目線を上げて、高いところ目指しなさい。
レベルの低い人間とつるんでいても新しい景色どころか美しい景色だって見れない。
行動しなさい、考えなさい、感情をコントロールできるようになりなさい。
合わない人間と無駄な時間を過ごしたり、不必要な思考を巡らすことを無くして。

自分が成長できる場所に行って、たくさん努力をして、たくさん失敗して。
たくさんそこから学びなさい。

いつか今よりも美しい景色の見える場所に立てる自分になれた時、
あなたにはその価値があると思う人が、あなたを待っている。
そういう人に出会えるように、自分のレベルをあげなさい。」

私の 努力の意味は いつもここにある気がした。

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