彼女は目をそらす
僕たちは決して、男と女の関係になってはいけない。それはお互いがわかっていた。
今日は偶然彼女と帰りが一緒になり、僕から誘って飲みに行くことになった。
薄暗いバーカウンターで、彼女が話してくれたのは些細な心の傷だった。それを聞いた僕は、彼女をあまりにも愛おしく感じた。そのせいなのかわからない。どんな気持ちだったか覚えていない。僕の右手がいつのまにか、彼女がカウンターに載せた左手の小指に、そっと触れていた。
彼女の指が少し動いた。何も言わず、何も見ない。でも指は触れ合ったまま。
何事もないように話す彼女と僕。
お互いに触れ合っていない方の手で、グラスを傾ける。
少しずつ熱くなる小指と小指。
5分くらいそうしていただろうか。僕はたまらず、彼女の手をやさしく握った。思っていたより、細くて小さい。
彼女は驚いたようにこちらを見て、何かをごまかすように笑った。
「なにー?」
「いや、思わず。気にしないで。話、続けて」
彼女は目をそらし、恥ずかしそうに肩をすくめて、顔をくしゃくしゃにして、伏し目がちに笑う。
「えっと、それでね」
少し上ずった声で、話の続きをする。こちらを見ないのは、僕に「見つめてくれ」と言っているようなものだ。
彼女の横顔は、美しい。すっと通った日本人らしくない鼻。はっきりした二重に、真っ黒な瞳。
短めのボブを耳にかけ、その耳から下がったピアスの真珠がひとつぶ、彼女の声に合わせて踊る。
彼女はときどき言葉を選ぶように、目をつむったり、遠くを見たりする。どこの何を見ているのか。
それで……僕は、何に嫉妬しているのか。
「聞いてる?」彼女が聞く。
「うん、もちろん聞いてる」
僕たちの手は、重なったまま。
「……なんだけど」
話の途中で、彼女が突然黙ってしまった。
永遠にも思える数秒。彼女が口を開く。
「ドキドキする」
「ん?」
「これ」
彼女は重なったふたつの手に目線を落とし、その後少し上目遣いに僕を見る。
僕だって同じ気持ちだ。いや、きっと僕の方がドキドキしてる。
「そう?」と、僕はとぼける。
「そうだよ。どうしよう、困った」
「困るの?」
「困らない?」
「確かに、このままじゃトイレにも行けない」
「そういう意味?」彼女は笑ってくれた。
この後、どうしようか。もったいなくて、手を離せない。
僕たちは、何があっても友だちだ。だけど、今日はあと少しだけ、このままで。
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