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世の中にある不登校の記事では救われない

不登校が社会問題になり、昔よりずいぶん不登校しやすいのだろうと思う。私はそれでも、当初とても葛藤があったし、学校に行けるといいなと思っていた。

罪悪感はなくなった。でも、その後どうすればいいのだろう

離婚に伴い引っ越して少し学区域から外れてしまって、1年は越境が認められた。その間長男は学校へ行ったり行かなかったり。でも、学校に友だちがいる状態だった。

でも、翌年次男が小1になることから、「新しい学校で最初から始めてみては」ということで、越境が認められなくなってしまった。

コロナで時間が短かったのもあり、1週2週くらいは彼らも通っていた。長男はとてもいじらしく、時間通りにちゃんと行っていた。だけど、やっぱり行けなくなった。ランドセルを嬉しそうにしていた次男も、じきに行かなくなった。

子どもに対して「学校へ行かせよう」とするのはやめた。それは学校の先生やほかの人がさんざん言ってくれるから。私は「学校へ行かないあなたたちも愛しているよ」という態度を貫くことにした。それでなければ、彼らに「誰にも話せないこと」ができてしまうから。

彼らは「学校へ行ったほうがいい」と思ったり行ったりする人を自分から遠ざける。親戚に言われたら、そのお家にはもう行きたくない。そうやってまだまだ自分を守るのにせいいっぱいなのだ。それに、誰かに何かを強いられるのが本当に苦しい性質なのだと思う。

長男はそれでも塾へ行ったりしていたが、気持ちが向かなくなり、辞めてしまった。以前進研ゼミをやっていたが、チャレンジタッチが合わなかった。だからといって本だけではやらない。また、次男は算数以外好きではない。TanQuestをやっていたが、最近は気が乗らないらしい。

いろいろやってみてはうまくいかない。私もそれほど時間が取れるわけではなく、疲れてしまう。長男などは「俺は飽きっぽいし続かないんだ」と決めてかかっている。スクールソーシャルワーカーの人たちはほぼ毎週来てくれえている。そこでプリントを1ページだけやったりもする。でも、それだけだ。(ちなみにそのことは全く不満ではない)

世の中の記事は「不登校に罪悪感を持たないで」「やりたいことをさせてあげよう」という。それで楽になって人生を歩めるようになった人の成功例が書かれている。だけど、私達はそれでは救われないのだ。

学校に行かないことに罪悪感を持つのは、ずいぶん前にやめて楽になった。でも、その後どうすればいいのだろう。

不登校を悪くないという人は、「家でもやる気があれば勉強できる」という。不登校の子どもがホームスクーリングする方法は世の中に溢れている。でも、勉強する気がわかない子どもを導く方法はわからない。自然にやる気になるのを待つとしたら、子ども同士で交流して刺激を与えたり、何か夢中になるものが必要だったりするだろう。でも今はそれがないし、誘っても「いいや(行かない)」と言われる。

果たして勉強が絶対に必要なのかもわからない。勉強以外で前に進む(進んでいると実感できる)方法もわからない。

2 on 2で悩み相談をした

閉塞感があった。でも、誰かに悩み相談して答えをもらうようなことではないとわかる。「○○をすればいいんじゃない?」と言われたくない。

これまでにいろいろやっていて疲れているし、子どもの性格が一筋縄ではいかないのだ。以前も書いたかもしれないが、長男は出生4日で「この子は意志が強いわね~」と助産師さんに言わしめた。次男はそこまでではなさそうだが、強制や怒られることに弱く、傷つくと怒りに変換して物を壊す。

私が参加しているコミュニティの #コルクラボ で、2 on 2をしようという試みをしている人がいた。4人が集まり、まずは悩みを抱えたAさんと、もう一人のBさんで話す。のこりのCさんDさんは聞いているだけ。そのあと、CさんとDさんが同じテーマで話し、悩んでいるAさんは聞いているだけ。これを何回転かやる。私がAさんになって、3人に相談をするという構図だ。

誰かと1対1で話しても、私のほうが不登校についてよく考えているので、先回りして思考が進んでしまう。だからあまり相談にならない。でも、だまってCさんDさんの話を聞いていると、自分が口をはさめないので聞くほうに集中できる。

CさんとDさんはこう言っていた。

「周囲に子どもを育てている友だちが結構いるけど、もう子どもが息してるだけでえらいのに、何かをしなくてはいけないと思っている。責任を抱えすぎではないのか

「不謹慎かもしれないけど、学校に行かずに子どもを育ててどうなるか。最先端のことを実験しているみたい」

「家で働く姿を見せているのは、子どもにいい影響がある。フリーランスとして自分で稼いでいるとか、Zoom会議でやりとりしているところも」

「拠り所がなくて落ち込んだり、暗くなってしまうのは当然だと思う。焦ったりするのもわかる。それを話せる環境や、空気を抜けさせる機会があるといいのかもしれない」

2 on 2は、私を肯定してくれる時間だった。最初のチェンジのとき、私は少し泣いてしまった。私は「あなたはとてもよく頑張っているよ」と言われたかったのだ。カウンセラーのような人に技術で言われるのではなく、普段の私を知っている友だちに、言ってもらえることがとても貴重だった。

そう、私は仕事をして家事をして、子どもを育てている。これ以上ないくらいに頑張っている。でも、それでは足りないと自分を責めているのだった。

毎月1回、子どもの味方として考える時間を設ける

子どものことは、考えれば考えるほど焦ってしまう。何かしなくてはいけないんじゃないかと思ってしまう。でも、考えないと何も進まない。ふとしたときに「何もしていない」と自分を責めてしまいそうになる。

どうやったらゆっくり焦らず考えられるのだろうか。

私は、月に1回、子どものことをじっくり考える時間を設けようと思った。前に進まなくてもいい。でも、考えないのはよくない。考えすぎも良くない。定期的に考える時間を設けて、自分に問うてみよう。それで、進まなくても、また来月考えればいいのだから。

数年前、近くのコミュニティ施設でワークショップを受けたことがあった。内容は詳しくはわからないけれど、自分を見つめることになるかな?と参加した。

そうしたらそれは「味方学」というもので、「誰かの味方になる」ための問いのワークなのだった。私はその時にコルクラボでの活動に精を出していて、彼らの味方になりたいと思っていた。何回か出た中では、よくコルクラボの人たちを想像してワークを進めていたものだ。もちろん、子どもを対象にすることもあった。

講師の方はとてもゆるやかで、物事を決めつけないし、地域のおばさまなどとも同じ目線でフラットに接している。私はすぐその人を好きになった。何度かコーチングをお願いしたり、Messengerでやり取りしたりしていた。

その方がオンラインで味方学をやっていると聞いた。オンラインで90分なら、今の生活でも参加できそう。一度やったことのあるワークだけど、何度やってもいいような抽象的な問いが多いし、誰の味方になりたいかによって変わりそうだ。値段も全然高くない。とてもありがたいと思った。

私は、「誰の味方になりたいですか?」の問いに毎回「子ども」と書いてワークをすることにした。

あとからわかるのだけど、長男にするか次男にするかによっても、結構変わる。でも、今は両方一緒に考えている。

あるときは「子どもの話をあまり聞けていない」と気がついた。聞いているつもりだったけど、改めて考えると邪険にしていることもある。それを改めようと思った。

あるときは「子どもと遊ぶ時間を作りたい」という言葉が自分から出てきた。ずっと思っていたけど解決策が見つからない。でもそのときには「そうだ、終業時間を6時にすれば夜に時間ができるかも」と思った。一時期午後イチで遊ぶ時間を設けていたのだが、なんだか落ち着かないし、続かなかった。それよりは、早く終わらせてよるゆっくり時間をとるほうがいいかもしれないと思ったのだ。これは今のところ1週間ほど続いている。

ただ、このワークが今年度で終わってしまうので、今度は私が主催してその方を招いてオンラインで開催しようと思っている。5~6人がマックスだというので、ひとりは見つかったけどあと3~4人くらい探せるといいな。

いつもはその人によって誰の味方になるのかが違うけど、子どもの味方になりたい人ばかりでやったらまた違う発見がありそう。

追記(2021.03.24)

「子どもの味方になりたい人」向けに、「子どもを思う味方学®」を企画しました。ご興味のある方はこちら(↓)からどうぞ。

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