物語の主人公になれば逆境が楽しくなる
不幸はだれが決めるのだろうか。惨めはだれが決めるのか。私のことは私が決めればいい。だから、不幸と呼ばずに逆境と呼ぶ。
逆境は、「自分を主人公にした物語」を魅力的にするためには欠かせない。何かを乗り越える前には必ず逆境が必要なのだ。その逆境の乗り越え方を考えるのが、作者の手腕である。どちらも、自分ひとりでできる。
私はPodcastをいくつか配信している。昨日配信した「クリエイティブの反対語」の200回記念で、最近変化のあった境遇について少し話している。その内容に合わせて、私のこれまでの人生と、これからの人生のとらえ方について書いてみる。
一般的にイメージされる「幸福」な家庭をつくった
私は、裕福ではないけれど普通の家庭に育ち、地元の国立大学を出て、比較的名のある企業に就職し、割と恵まれたキャリアを歩んでいた。
30歳のときにライターになって、「好きなことを仕事に」という、なんだか今風の働き方になった。
幸い結婚もすることができて、都内に持ち家を買って、子どもはふたりのかわいい男子に恵まれた。少し前の日本の典型的な幸せ家庭像として、コンプリート感ある感じ。これからの受験のこととか全然知らないしユウウツだけれど、それなりに情報を集めながらそれなりに進んでいくのだろうと思っていた。
仕事は少しずつ好きなことにシフトしていて、さらにPodcastを仕事にすることができたり、コルクラボというコミュニティで楽しい仲間ができたり、楽しいことは増えていた気がする。
突然訪れた子どもの不登校
自分のことにかまけていて、子どもの小さなサインを見ていなかったのかもしれない。また、私自身が子供のころは、嫌なこともあったけどなんとかなったので、子どもなんてそんなものだろうと思っていたのかもしれない。
心の準備なしに、小3の長男が学校へ行けなくなってしまった。無理やり行かせたら命が危ないかもしれないと感じるほどだった。私は少しずつ自分の考えを改めていった。「学校行くのが当たり前」「学校へ行かないと人生が真っ暗になってしまう」という考えを捨て、新しい自分に変えていく必要があった。
今は、当たり前と思っていることを考え直させてくれた長男に感謝している。自由な考え方を手に入れることができて、とても貴重な体験だと思う。彼と一緒に、人生とは何たるかを考える日々(笑)。学びはとても多い。
夫婦の悩みを誰にも言えない
子どものことがありながら、夫婦の悩みも抱えていた。なぜだかわからないけれど、誰にも言えなかった。
「何に悩んでいるの?」と、ある人に突然言われ、私は何に悩んでいるのだろうかと考えた。その人に初めて夫婦の悩みなどを打ち明けて、その人の前でたくさん泣いて「旦那のことより君自身に問題があるよ」と言われて(笑)、人と愛についてたくさん考え、行動を改めたりした(これはまた別の話)。
でもそれから、いろいろな人に悩みを打ち明けられるようになった。たくさんの人に助けてもらい、私は少しずつ、心を強くしていった。
自分だけはずっと自分の味方
離婚を本当にちゃんと考え始めたのは、このnoteを書いた頃かもしれない。
ずっとあなたを愛しているよ。
ずっとそばにいるし、絶対に見放さない。
私は、どんなことがあっても私の味方でいてくれる人が必要だった。だから、自分の中にそういう人を作ると決めた。他の誰かに全面的によりかかって、少しでもそっけなくされたら重傷を負ってしまう。そんなリスクは取れない。自分だけが、いつもどんなときも自分の味方でいられる。自分からは決して逃げられないのだから。
その上で、いろいろな人に頼る。悩みを打ち明けたり、アドバイスをもらったりと、とにかく自分をさらけ出すことを覚えた。
最悪のシナリオを考えても「死にはしない」
一番心配だったのは、経済的な問題。2馬力でも大変だと思っていた学資もろもろ。たったひとりで賄うことなんてできるわけがない。実家は裕福ではないから金銭面で頼ることはできない。
一番悪いシナリオを考える。幸いにも執筆の仕事はリモートでもできる。そうしたら、生活費がすごく安いところに引っ越せばいい。そういうところは自然が多いだろうから、子どももすくすく育ちそうだ。実家に帰らせてもらうことも、最悪できる。死にはしない。
心が弱っているので、狭いアパートに親子3人でうずくまっているイメージが湧く。それを振り払いながら「死にはしない」と心の中でつぶやく。
「お金がない」を言えて、誰かを頼ることができれば、この日本では死にはしないはずだ。
転職した時と似ている。私は割とくそまじめで、リスクをとるのはとても勇気がいる。でも「死にはしない」と考えてようやく、一歩を踏み出すことができた。
「惨め」という言葉に巻き取られる不安
「死にはしない」と思えても、次は「惨め」という思いに巻き取られそうになる。狭い部屋で、ろくなご飯も食べられず、毎日朝から晩まで働くのは「惨め」なんだろうか。
ステレオタイプの幸せを唯一と思っている人からすれば、私は惨めなのかもしれない。でも、そういう人にそんな風に思われてもどうってことないではないか。私は何を恐れているのだろう。
「惨め」という言葉の呪縛からはまだすっきり逃れられていないけれど、下手をするとその言葉に囚われて本質を見失うということは意識しておきたい。
シングルマザーになるのだからお金は節約するし、なかなか贅沢はできないけれど、別にそれは惨めなわけじゃない。
わかりやすい「不幸っぽい」境遇
いま長男は学校へ行かないなりに塾や家庭教師、家庭学習を楽しそうにやっているし、次男も保育園へ行かないなりに楽しく過ごしている。私は、年末に離婚手続きを済ませて、シングルマザーとなった。
去年の夏前から別居しており、少しだけ子どもの通う小学校の学区から外れてしまった。これまでは越境させてもらっていたのだが、来年度は学校が変わることが決まっている。それもまた、新しい環境でママ友を作り直さなくてはならないし、子どもたちもいろいろと戸惑うことが多いだろう。
「不登校」「シングルマザー」「転校(新しい環境)」という言葉だけをすくい取れば、わかりやすい不幸の典型例かもしれない。それを俯瞰して物語としてとらえるってことを、いつからか覚えた。小説が好きだったから、自分を小説の主人公だと考えるのだ。そうなると逆境は、「おいしいネタ」でしかない。映画やドラマの主人公にするなら、まだもう少し逆境たる設定が欲しいくらいだ。
精神的に一番つらい時期は抜けたのだけど、境遇だけを見たら結婚している状態よりシングルマザーの方が逆境だ。だからこそ、物語はこれからどんどん面白くなっていくに違いない。もしかしたら、主人公にさらなる試練が降りかかるかもしれない。それは、私のとらえ方次第だ。
幸いにも、作者である私はハッピーエンドが大好き。予想どおりではなく、予想しえないハッピーエンドが好き。それってもう、楽しみでしかない。
いろいろな人に境遇を話すけれども、いつも突然話してしまうので相手は迷惑かもしれない。言葉だけをとらえて神妙な表情をする人もいれば、「表情が明るいから大丈夫だね」と言ってくれる人もいる。子どものことを「家庭に居場所があるならよかったね」と言ってくれる人も。
いつも私を支えてくれる周囲の人に、とても感謝をしています。あまり会えないけれど、気にかけてくれてとてもうれしい。私に笑顔と愛をくれる子どもたちにも、感謝してもしきれません。
幸せになるために、どんな方法を取ったっていい。新しい方法であればあるほど、物語としては面白いから。
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