父の夢と挫折

俺は父親を嫌っていた。

東京へ出てきて約10年。仕事の忙しさにかまけ、実家へ帰省した回数は片手で足りるほどだった。
年末年始に帰るのは5年ぶり。帰らなくてもよかったが、幼なじみの友也がしつこく誘ってきた。
「みんなも和彦に会いたいって言ってるしさ。帰ってこいよ」
友也は俺の母親に似ている。周りを巻き込みながら、なんだかんだ世話を焼いてくれる。みんなが会いたがってるんじゃなくて、俺のためなんだろうなってことは何となくわかった。
大晦日に帰り、友也の家へ泊まることにした。親には元旦に帰って一泊すると言ってある。

昼間から飲める居酒屋で、高校時代の他の友達も呼び、飲んで食べて喋った。まるで高校時代に戻ったように愚痴や笑い話に講じた。違うのは、登場人物が彼女じゃなくて奥さん、同級生じゃなくて同僚になったことだ。
俺と友也以外はみんな家庭があるから、紅白歌合戦が始まるころに代行で帰っていった。
俺と友也は、友也の親父さんに迎えにきてもらった。田舎ではいくつになっても家族が送り迎えをするのはわりと普通で、それはお互い様だ。

友也の親父さんは気さくな人で、車を運転しながらくだらない冗談を言って俺を笑わせる。もちろん、友也は1ミリも笑わない。親子なんてそんなもんだろう。
友也のお母さんは5年前に亡くなっている。だから、俺と友也と親父さんの3人で年を越すのだ。
年越しそばは親父さんが茹でてくれた。冷蔵庫のタッパーから出してきためんつゆは、俺の母親が作るのとそっくりな味だった。それを3人ですすりながら、酒を飲んだ。
そばはすぐになくなって、友也がおつまみを皿に出した。俺の実家に必ずストックしてあるミックスナッツと同じだった。どこの家も、同じような物が置いてあるんだな。

「和彦、どんな仕事してるんだっけ?」親父さんが言う。
「今は、ゲームとかの曲作ってます」
「すげえよなあ。音楽で食べていくのが夢だったんだろ。孝彦が言ってたぞ」俺の父親のことを、この人は名前で呼ぶ。「孝彦はさ、夢半ばで悔しい思いをしたからな。おまえの活躍は嬉しいと思うよ」

親父に夢だって? 聞いたことない。

俺のバンドが地元で少し人気になってきた頃、思いっきりけなした親父。自分にも夢があったなら、なぜあんなことを言ったんだ。
「自己満足な曲だな」
親父は俺の曲を初めて聞いて、そう言った。そんな人だとは思ってなかった。それまでは、どんなときも俺の味方で、何かを頭ごなしに否定するなんて、記憶の限りでは一度もなかったのに。
親父に褒めてもらえると思って自信満々で流した曲を、俺は途中でプツッと切った。それ以来、親父とはほとんど口を聞いてない。

「このことは孝彦に言うなよ。あいつは、小説家を目指してたんだ。確か、なんとかって章を受賞して、一冊だけ出版して、まあまあ売れてよ。でも、次の本は出なかった」
「なんで?」
「編集者と揉めたっつったかなー。『俺の世界観をわかってない』とかなんとか愚痴ってたこともあったかな。あいつはね、親とか親戚とか、周りの人におだてられて育ったんだよ。俺から見ても羨ましい限りで、すくすくとな。だから誰かに否定されても自分を信じてて、それが悪い方へ転んだんだな」

……何だよ。
俺のことを言う前に、自分が自己満足野郎だったんじゃないか。

「だからあれだろ、和彦に同じ思いをさせたくなかったんだろ?」友也が口を挟んだ。「お前さ、怒ってたじゃん。親父に音楽をバカにされたって。それはお前の親父さんがさ『褒められ続けて挫折した、自分みたいにならないでほしい』って思ったんじゃないの」
「……えっ」
「『嘘だろ』って顔してんなあ! 孝彦とおんなじで鈍感だよなあ」友也の親父さんはそう言うと「あいつはみっちゃんの気持ちにも全然気がつかなくてよお」と、俺の両親の馴れ初めを話し始めた。

正直、以降の話は頭に入って来なかった。
「自己満足な曲だな」
頭の中で、同じセリフが繰り返される。あの言葉が、俺のためだったって? そんなの今さら、信じられるわけない。
友也の親父さんは楽しそうに話し続けている。俺は適当に愛想笑いで合わせ続けた。
いつ年が明けたかもわからず、親父さんはコタツに突っ伏して寝てしまった。俺と友也で寝室へ運んで、俺たちも布団に入った。

移動の疲れもあったのか、いつの間にか寝ていたみたいだ。スマホの着信音で起こされた。母親だった。
親父がスマホを落として、最寄りのターミナル駅に届けられているという。「来るついでに、受け取ってきてくれない?」と言うのだ。友也の家からは少し遠回りだが、大した手間ではない。

昼過ぎに友也の家を出て、ターミナル駅へ戻った。
駅でスマホを受け取ると、最新モデル。親父がなんで最新のスマホなんて使ってるんだよ。
「ガラケーでいいだろ、ガラケーで」
思わず独り言をつぶやいた。バッテリーが残っているか確かめようと、ホームボタンを押す。なぜか、ロックはかかってなかった。

スマホの画面を見て、驚愕した。
ずらりと並んだアイコンは、ゲーム、ゲーム、ゲーム。
すべて見覚えのあるものだった。それは全部、俺が担当したゲームだった。
「自己満足な曲だな」
親父の言葉がまた頭の中でぐるぐる回る。俺はあの言葉が忘れられず、意地でも音楽で生きてやるって思った。バンドは結局芽が出なかったが、サウンドクリエイターの道を見つけたんだ。

最新アプリのアイコンをタップしてみる。めちゃくちゃレベル上げてる。すごいやり込んでる。もともとゲームなんてやる人じゃない。俺が作った曲を聴くために、ゲームをやってるんだろうか。だから、最新のスマホなのか?

俺はわからなくなった。子どもを思う親って、何なんだよ。
息子に10年以上も憎まれたままでいいのかよ。「誤解だ」って、少しは言い訳すればいいじゃないか。
俺はどんな顔して親父に会えばいいんだよ。10年以上も引きずってた俺はバカみたいじゃないか。

俺はそのまま、何食わぬ顔して家に帰った。迎えてくれた母親に、玄関先で親父のスマホを渡した。母親はなぜか、俺の顔をまじまじと見ている。
母親がリビングに行き、親父にスマホを渡す。「ああ、ありがとう」母親に言ったのか、俺に言ったのか。
親父はスマホをポケットに入れた。

少しして、親父のスマホのアラームか鳴る。俺がさっき、セットしといたやつ。アラーム音は、俺が作った最新ゲームの曲。親父はすごく焦ってスマホを取り出した。ゲームが勝手にスタートしたとでも思ったんだろう。
スマホは「アラーム」の代わりに、別の文字を表示させられる。親父が画面を見ると、そこにはこう表示されているはず。
「オヤジの小説、読ませろ!」
アラームが鳴ったまま、何秒間かじっと見つめていた。眉間にしわを寄せて目をつむった。意味がわからなくて固まっていたみたいだ。

その後、ゆっくりした動作でアラームの音を消した。
大きく「ふうっ」と息をついて、悔しそうに俺を見た。
笑っているようにも見えた。

その日、俺と親父は朝まで飲み明かした。話していなかった10年間を取り戻すみたいに。気がすむまで話して、たくさん笑って、親父は少しだけ泣いた。
母親は事情をきくでもなく、その日はそそくさと寝てしまった。

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ずっと後になってから、気づいたことがある。

もしかして、この年の里帰りのことは、全部母親の仕組んだシナリオだったのかもしれない。考えれば考えるほど、絶対そうだと思えた。気付いたときにすぐ親父に電話して、ふたりでまたゲラゲラ笑った。たぶんまた親父は、電話の向こうで悔しそうな顔をしていたんじゃないかな。

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