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Not for me 私には合わないこと

おはようございます。モタモタしてたらもう昼!すぐ時間は過ぎますね。やらんなんことで予定詰め込み過ぎたくはないけど、大小限らず、急ぎor急ぎじゃない限らず、やっぱりやらなきゃ終わらない!そんな現実。


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今日は、「Not for me」について。昨日、出合った言葉です。ぜーんぜん知りませんでした。

ゲーム業界界隈の言葉みたいですが、英語表現としても、ストレートな意思表示をする海外では珍しい曖昧さを含んだ柔らかい表現のよう。

これは私のためのものではなかった。

否定はしないけれど、私には向いていなかった。

私には楽しめなかった。

シンプルにそれでいいんだ、と目から鱗。ゲームや映画や本のようなコンテンツはもちろん、起こった出来事、出会った人など、いろんな事象での捉え方において忘れたくないことだなぁと思いました。

私は、「縁」とか「運命」とか深く重く考える傾向があります。出あったことや起こったことには意味があるとか神さまは乗り越えられない試練を与えないとか。そう書いている今でも…やっぱりまぁ思ってるし。

でも、だからってそれは、ちょっと意気込みすぎてたのかもしれないです。フッと肩の力が抜けた気分になりました。私が嫌だと思うことからは避けていい。逃げていい。そう認められた気がしました。

嫌なことはしなければいい。当たり前。簡単なこと、単純なこと。でもマジメな私にとっては、なかなか思い切れることではなかった。人の目が気になる。社会の目が気になる。周りとのバランスが気になる。他の誰でもない自分自身の「でもやっぱり普通は…」の感覚に追いつめられる。そんな私にとって、本心から腑に落ちる言葉だと思いました。

私は私の感覚を大事にしていい。それが一番大事。



これって、従来の「普通」教育を受けて「平均」を求められた教育のおかげなんですかね?「空気を読む」とか。弊害…とは言いたくないですが、自分の感覚やそれぞれの個性を大事にしない傾向。感情を持たずに結果を出し続けるロボットのような教育を受けてきたのかもしれません。

これからの時代は、違う。大人から子どもまでスマートフォンを持ち、情報が錯乱する世界と、いつでもどこでもネットでつながる時代。

以前、テレビの電源をつけたときにやっている番組を見ようと思っている時期がありました。興味がなくても、ちょうどその時やっている番組から吸収するべき何かがある。だから私は今電源をつけたんだ、と。

いや~、その側面は無きにしも非ず?でも、現代のネット社会で情報の海を航海する方法としてはアナログで危険すぎる。すぐに溺れる方法だなぁと思ってきているのです。時代が変わったら方法も変えなければ。

変化できる人間が一番強い。

嫌なことからは逃げるし、変化を怖れないでいよう。年を重ね、経験を重ねてきている今だからこそ後ろめたさはないし、取捨選択をして、囚われずに変化しよう。

日々いろいろあってもこの気持ちを忘れず思い出せるように、いつでも戻ってこれるニュートラルな想いにしたいと思います。



今日も、自分を信じて

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