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名前がつくと安心する

先日、HSPの本を読んだ。

16PersonalitiesでINFJ-A型と診断されてる私。
note読んでると、INFJ-A型って×HSPな方が多そうだったし、
私もきっとそうなんだろうなぁとは思ってたけど、
本読んでやっぱ私HSPだな、とわかった。

HSPって繊細そうで、神経質そうで、
自分もHSPだったら嫌だな~と、なんとなく調べたりするの避けてたんだけど。。
でも、知識を得て良かった。
私のイメージとちょっと違ってたし、
HSPであることに誇りを持とうと思えた。

何より、なんだか気持ちが楽になった。
本を読んでると、子どもの頃からあったこと、感じてたことが、
いろんな事例として載っていた。
毎日頭フル回転で考えてるし、しかも深く哲学的に考えてるし、
考え過ぎって言われるし(そう言われないように、考え過ぎてるのなるべく隠して無頓着ぶってる)
そもそも適当で良いって言われても適当なんてできないし、
7割の力でいいとか、間違ってていいからとにかく早く、とかも苦手。
子どもの頃は黙々とイラスト描きまくって自分の世界入ってし、
人と人の橋渡し役をして双方に誤解が生まれないような平和に尽力するし、
人に気を遣うからムードメーカーだし
それで時にはぐったり疲れるし。。
とにかくいろんな事例が自分の身に覚えがあることで、
しかもその根底のルーツは同じ、HSPとつながってることだとわかってびっくりした。
嬉しかった。
昔から感じてたことやモヤモヤ1つ1つが、その存在を認められたと思った。
名前がつく、とか、言葉にする、とか、
心が穏やかになる。
これまでの人生が救われる気分になる。

性格は変えられない。
過去も変えられない。
でも、認識できると違う。
自分にとって自然で自動的な捉え方とか、考え方の傾向とか、
知らず知らず、そういうのがあるのはどうやら間違いない。
そういうポワンとした意識のようなものを、言葉にして世に放ったり、
または世に放たれている言葉を、自分の意識と紐づけること。
そうすると世界は私だけじゃなくなる。
一歩引いて自分を認識するために、言葉や名前ががあるのかもしれない。

私という人間の説明に、今回新たに「HSP」という名前が加わった。
私と似たような経験や意識を持つ方が、「HSP」という名前を持つ人たちだとわかった。
私は1人じゃない。
孤独じゃないし、変に特別ぶる必要もない。
世の中にはいっぱいHSPの人がいるんだから。
みんな仲間、むしろ非HSPだって仲間。
人間は1個体だけど他の人間ともつながってる。
差別や区別のためじゃなくて、あくまで、
世の中を構成する私も一員という認識のために、
これからも名前の力や言葉の力を借りて生きたい。

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