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子育てにも役立つ神ゲーム「ワンダープロジェクトJ」について語る

#自己紹介をゲームで語る といえばこのゲームしか思いつかない。

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ワンダープロジェクトJ。
小学生のときに、人に借りて死ぬほどハマった作品。
これやってた人とは全員友達になりたい。

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↑浅野りんの絵が表紙のこの漫画もちゃんと持ってた。(2は未プレイ)

このゲームのおもしろさ、素晴らしさは、今更わたしが語るまでもないのだけど、最近ゲーム屋の中古ソフトコーナーで300円ぐらいで手に入れて再プレイしている身としては、自身の子育てにも役立つことを実感しているのでこれはもう推すしかない。

以下、このゲームが子育てにおすすめな理由を書いていく。


①「ほめる」「注意する」「叱る」の基準を自分で決める

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このゲームには、プレイヤー(自分)が操作するキャラとして、画面右のティンカーという妖精型ロボットがいる。彼女を自由に動かして、画面左のピーノという子ども型ロボットに世界のいろいろなことを教えていくのだ。

生まれたばかりのピーノは知らないことばかりで、出会うものすべてに興味を抱く。そして、自分なりに考えてアクションをとる。プレイヤーはティンカーを通してピーノに指示をだし、その行動が正しいか、間違っているかを伝える。

正しい時は「ほめる」
ちょっと違うときは「注意」
もうほんとに二度とするな!ってときは「叱る」

わたしたちがピーノにできるのは、この3種類のコミュニケーションだけ。
※時代背景や漫画の影響もあって、「叱る」のときに体罰を伴った表現になってしまっているのだけが、ちょっと気になる点ではある。

ピーノのとった行動のあとに「ほめる」をしていると、ピーノはほめられて喜ぶ。そして何度も繰り返しているうちに、「その行動が正しい」ということを覚える。逆に「注意」していると、次第にその行動はとらなくなる。

これ、まさに心理学でいうところの「正の強化」「負の強化」なんだよね。
人が人に対して行うコミュニケーションの基本。こんなことをわたしは小学生のうちから自然と学んでいたのかと。

ピーノを褒めると、リアクションがとてもかわいい。ピーノの性格にもよるが(育て方で性格も変わる)、得意げになったり、照れたり、素直に喜んだり、「うちのピーノは世界一かわいいなあ」と感じるには十分な愛くるしさ。これはキャラクターデザインがかなり成功しているのと、キャラクターボイスが日髙のり子であることも大きい。どんな大御所だよ、てかんじ。

つまり、ピーノを褒めているこちら側としても、もちろんピーノを叱りたくなるはずもなく、自然と褒めるような行動をたくさん取らせたくなる。

ピーノを褒めると、ピーノとプレイヤーのあいだの「信頼」というステータスが向上する。信頼が高いと、ピーノはプレイヤーの指示を素直に聞くようになり、逆に低いと、言うことを聞かなくなったり、とつぜん画面にむかって「えみすけなんか、だーいっきらい!」と言ってきたりする。ちなみにこれはわたしの豆知識であって、実際のマイピーノにこんな傷つくセリフを言われるまで信頼を下げたことがないことだけは書いておきますw
(言われたら相当へこむやろうな・・・)

ピーノを、どんな場面でほめるか注意するかは全てプレイヤーの意思に任されている。つまりプレイヤーは、当時のわたしのような子どもであっても、「ピーノをほめる(あるいは注意する)ときの基準」を自分で設定するのだ。これってすごく良い事だと思う。

自分の中の行動の基準を、ある一定のラインで定めることは、思考をシンプルにするんじゃないかな。子どもが何をしたら褒めて、何をしたら叱らないといけないのかを考える機会になると思う。そしてこの基準がブレると、二人の間の信頼にヒビが入ってしまうということも学べる。

ピーノは褒められると嬉しい(かわいい)
こちらももっと褒めたくなる

この相互作用を体験しておくのは、ほんとにいい事なんじゃないかと思う。
ちなみにわたしは、特に用もないのに軽率に褒めていたし、もう何度もやってピーノができるってわかりきってる行動でも褒めまくったので、うちのピーノはずっと信頼が99でカンストしてました。


②大事な場面でプレイヤーは「見守る」しかできない

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上の画面は、イベント中のもの。
本来はかっこよく剣をふりまわさないといけないのだが、うちのピーノはブンブンとやる気なく剣を振ったあとに「な~んか、もえないっス・・・」とつぶやいており、このあとイベント進行失敗となる。

このように、このゲームには「ピーノを育成するフェーズ」と、「ピーノの実力を試すフェーズ」の2種類が存在する。後者では、プレイヤーはティンカーを操作することはできず、まったくのピーノ頼みとなる。

わたしはこの瞬間、テレビの前から「ピーノがんばれ!がんばれ!!」とものすごく応援したり、祈ったりする気持ちになることを経験している。

自分がなんにも関与できないイベント画面。これって、当時のRPGに慣れていたわたしにとっては衝撃だった。だって、バトルのほとんどは自分の意思で行動を選べていたからだ。敵に勝つのも負けるのも、それはすべてわたしの采配だし、わたしの実力だった。

でもこのゲームはちがう。
わたしがどれだけピーノにいろんなことを教えても、大事な局面においてはピーノが自分で考えて行動し、ピーノ自身の心の強さで問題を解決していくのだ。わたし(プレイヤー)は、ティンカーと一緒に、ただ見守ることしかできない。

これって、子育てでもほんとに同じだと思う。

親は、子どものために良かれとおもっていろいろするんだけど、結局子どもは自分で考えて動くし、行動の結果の評価も子ども自身のものである。
これ当たり前のようだけど、子どもの評価がまるで親のものと同化しているような人もたまに見かけるんだよね。
親自身が周りから責められたくなくて躾をしているとか、子どもを褒められることが親のステータスの一部になっている人とかね。

子育ては、親が何もせずに子どもの自主性や主体性に任せて「見守る」ことが結構むずかしい。ついつい手や口を出してしまう。もちろん善意からなのだけど、やりすぎると却って発育を阻害したり、子どもの生きる力そのものを弱めてしまうこともあるんだよな。

こういうことを学べるのが、個人的にはとてもいいよなぁと思う。


③ピーノの成長を感じられるのが嬉しい

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ゲーム序盤では、こちらの想定を軽く超えてくるピーノに、プレイヤーもあたふたして、なかなかうまくピーノと意思疎通がはかれないこともある。でもゲーム後半は能力もバランスよく成長して、そして彼自身の勇気や優しさ、根性や探求心などを頼もしく感じるシーンが増える。

まっしろだったピーノの肉体(ロボットなんだけど)に、プレイヤーとの絆によって確実に「心」が育ち、後半はもう感動しっぱなし。
「ニンゲン」と「ギジン(擬人?ロボットのようなもの)」の間にある確執を、ピーノが少しずつ取り除いて、両者をつなぎ合わせていく様は、見ていてもとても気持ちがいいのだ。

このゲームをやり終えた時、感じた気持ちは「ピーノがんばったなぁ」だった。たいていのゲームは、クリアすると「わたしすごい」になるのだけど、やっぱりWPJだけはピーノが主人公だし、ピーノの頑張りによる功績が大きいし、自分はただのサポート役だと感じるところがすごい。

自分の成長じゃなく、人の成長を感じて喜べる、ってやっぱり大事だ。
しかもそれが、小学生のうちから感じていたのだからなおさらだ。

ところで、いまわたしには娘が二人いて、8歳の長女にこのゲームをやってみてもらっている。わたしは娘がどのようにピーノに接するのかが興味深くて、横でずっと見ているのだけど、長女はわたしがプレイしているのを見たことはないのに、わたしと同じように「なんにもなくてもピーノを褒めて」いた。というより、もしかしたらわたしより褒め上手かも。

「そうそう!すごいすごい!」と言いながらしきりに褒めている。
しかも、ピーノが狙った行動をとらなくても、長女は「注意」すらしない。
ピーノが自分で答えにたどりつくまで、ただじっと、見守っているだけだった。ほんで、できたらめちゃくちゃ褒める。すごない?w

ピーノがかけっこで1等賞をとったときには、家じゅうに響く声で「やった~~~!!おかあさん1位になったよ!!!」と叫んでいたし(わたしはトイレからおめでとう!と叫んだ)、彼女も毎日、少しずつピーノの成長を楽しみにしているのだと思う。

ピーノはゲームの中の存在だし、生き物ではないけど、自分が関わることで変化を起こし、成長するモノであることは間違いない。
このような相互の影響を、わたしはとても好ましいと思っている。
ピーノを褒める長女を、とっても愛しく思っている。
(もちろん、やりたいんだけどまだうまくできない5歳次女のことも愛しく思っているよ)



そんなこんなで、好きなゲームについて語りだすとついつい長くなってしまうオタクでした。うちには任天堂64がなかったので、次作であるワンダープロジェクトJ2はプレイしたことがなく、ピーノの可愛さしか知らないわたしだけど、このゲームへの愛だけは無限にあります。

久々にプレイして、ピーノの表情、歩くときの音、階段を降りるときのふわふわした手など、存在のなにもかもが愛しい……と思い出しております。

ぜひ、「自分もこのゲームやったことある!」という方や「ちょっと興味出た。やってみたい」と思われたかたはスキしてくださいませ。


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