限界動画編集マンの徒然草

限界動画編集マンが自分の好きなことについてまとめて書き物をします。読んでいただけたら嬉…

限界動画編集マンの徒然草

限界動画編集マンが自分の好きなことについてまとめて書き物をします。読んでいただけたら嬉しいですし、もしなにかそれについて意見等があれば教えてください。

最近の記事

黒雨にて

ここは凡なる男に御座候五月雨降り仕切り候この時に湿りたる気我身を包み括り候ていと熱しと感じ候思へば随分と遠く迄罷り越し候とぞ思候全く以て知らざる県にて黒雨に被晒候て吾を汚すまじと存候と思はされ候程に鉛天為雨候とぞ見ゆる然て市井に致目候はば天地有情と云こと申候もの有之候とぞ見ゆる天地有情とは奚やとぞ存候間書にて引目致候ところ曰天地有情ハ人間ハ天地ト一也天地ハ情ヲ有チ人間ノ情ハ其ト一也と惟ふに天地有情成ハ誠也黒雨之降頻候今ごろハ我之心も又如雨之降頻候相成候迺吾ト天地トハ一成者にて

    • ”今”を生きれない。

       今回初めて他人が決めたテーマで文章を書く。このテーマに決めた理由は特にない。noteの応募の項目にあったテーマの中から、自分が今書きたいと思うテーマを選んだ。だから、この文章を書きながら、どうしてこのテーマに決めたのかを考えようと思う。  理由を考えるのには、多分書きたいと思った理由を考えるのが早い。自分がこのテーマを見た時に、「未来」という言葉に目がいった。「未来」というのは、「未だ来ない」ものである。未だ来ないのだから、そんなものを予測して、今すべきことを考えるのは非常

      • 寄朙歌

         夜来熱暑に勝へ、夜風に靡く草木の囁くを聞こゆ。  眼前の小渓の囁きも、小生を包むかのように御座います。月暈に赫されて、少しばかりか夜なのに辺りは噲かるく御座います。この時刻の河川敷は塵世に小生のみが存在するかの如く、小生をもつてそのような念ひを持たせしめませう。  人間には、如何しても眠れぬ宵が御座います。どういう訳か、寝ることを欲する所では御座いませぬが、寝なければ叶わぬ躰の造りに成つて居りますのに、則寝れぬ宵が御座います。人間は思うことのできる生物で御座いますが故に、

        • 酔い闇に書く話

           酒に酔っている。今まともに文章を書けていること自体不思議だ。でも、僕は不思議と、何か透き通った感覚を覚えて、特にテーマもなく、書いた。  最近彼女と別れた。半年前に。彼女は僕と違った。同じだと思っていたのに違った。じつは何から何まで違った。なぜか、四年間付き合った。あの時は彼女しかいないと思い込んでいた。  酒に酔っているから、今なら本音を言える。誰にでも言える気がする。正常な判断ができないから、誰にでもなんとでも言える気がする。世界で僕が1番強い感覚を覚える。でも、現実

          相反する欲望: 幸福と充足のパラドックスを探る

           人によって見えている世界は違う。僕の友達だって、本来なら「彼」と称するべき彼女から見た世界は、僕の見えているそれとは違うだろうし、僕よりも遥かに生まれの良いいわゆるエリートの彼からみたら、僕の世界なんて凡庸そのものだ。  僕の思想として、世の中のほとんどが「阿呆」であり、僕もその一員、近世から何も日本は変わっていないというものがある。その点で、僕は近代以降「国民化」されて人として振る舞うことが許された「猿」であると自認し、またそれが現在日本の平均的存在であると嘆いていた。し

          相反する欲望: 幸福と充足のパラドックスを探る

          ノスタルジーは何も生まない

           noteに投稿を初めて2年が経過した。当時、なんとなく何かを形にしたくて、なんとなく始めたのを覚えている。夜中、布団の中に潜って、自分が思ったことを徒然に書くと、何か偉大な気持ちになって、優越感に浸ったことを覚えている。  あの時から生活は一変している。かつて住んだ場所にはもう何もないし、戻りたいなんてことも思わない。大学生になってから、僕は過去と決別することができ、自分の成長を実感できるわけだ。(まだ大学生だが)  だけれども、少しだけ、古を振り返りたいと思う。  今

          ノスタルジーは何も生まない

          道導

           夜を照らす灯火は、街を黄色に彩る。駅から伸びる大通りは、ところどころを灯火に照らされて、ゆらゆら揺れている。僕はその情景に憧憬の念を抱いていた。この大東京の中心で、僕はその情景を思い浮かべては、一つの笑みをこぼしていた。車窓から見える都心の風景に魅了される僕がいた。まるで僕を導いてくれるような灯火。これを消してはならぬと、必死に捕まえようとしていたことを覚えている。  灯火というと、この前地元に帰省した時のことを思い出した。地元のランドマークである旭橋には、夜になると橋の至

          旭橋

           目の前の巨大な鉄橋が雪で化粧するあの光景は、外気に冷やされてしまったあの冷たい鉄の塊は、もうここにはない。 これは橋だ。誰がどう見ても橋である。この「旭橋」という橋は、故郷のランドマークだ。だから、これを読んでいる方の中でも知っている人もいれば知らない人もいる。知らない人は是非インターネットを駆使して調べてみてほしい。ほら、橋だ。あなたの目の前に現れたのは、きっと何の変哲もない橋である。夏はこの橋を自転車で驀進し、冬は雪を踏み締めて歩いた。このどうも無機質に感じない橋を。

          雪原と燈

           雪の儚さを謳い、僕は雪原に一人いる自分の姿を夢想している。そこには、はじまりもおわりもなく、ただ全てが存在しているだけだ。因果から解放された僕は、まるでその雪原を愛でるかのようにかける。僕の脳内が保持している、この記憶もただここに存在しているのみである。それは消えることもなく、ただそこにある。そこで僕は最愛の人々と出会う。彼らは僕に微笑みかける。僕は、あの時ぶつけた車の傷や散歩した道すらも覚えている。そしてそれは、、ただ意味もなくそこに存在しているだけだ。「時間」という大き

          天気晴朗なれども浪高し

           東京で大雪が降った夜。その日の空は少し明るくて、故郷の空を見ているようだった。しかし、それはどこか違うのを僕は知っていた。東京の雪夜空は、故郷のようなものではなくどこか淀んでいた。 さて、東京の雪夜というと次のようなことを思い起こすことも多いであろう。それは、「東京の豪雪夜には、何か大きな事件が起こる」ということである。もちろんこれは俗言であって真なるものではないが、なぜか僕も東京雪夜に胸騒ぎしたことを覚えている。それは故郷とは異なる場所で懐かしい存在を感じた時の興奮やノス

          天気晴朗なれども浪高し

          事実は小説よりも奇なり

           僕は別に一人なんかじゃない。むしろそれなりに社会的な生活を営んできた方だった。最低限の社交性を持ち、最低限の顔で、最低限の社会的営為で、僕はまさしく平凡そのものである。少なくともそう思って生きてきた。でも、そんな僕でも一つだけ、忘れられない過去というものが存在していた。あの日あの時、今思えば、僕のこの「記憶」というものは、額縁に飾られ続けた「名画」なのかもしれない。あるいは、標本化された「植物」だ。その「記憶」は長い間、僕の養分を吸収して寄生していたのかもしれない。だから、

          事実は小説よりも奇なり

          初雪

           冬になるといつも何か足りない気がする。その答えは、実は明白のようでそうではなかった。舗装された道路の上を歩く自分を「客観視」して、僕はこの風景が意味もなく滑稽に思えた。思えば、僕も今年で二十代も折り返しの地点に来てしまった。ずいぶんと冬恒例のものだったものを認識していない気がする。ただ別に僕はそれを求めている訳ではなかった。なぜなら、あれには、たくさんの「遺物」が混入しているからである。  初冬、雪は溶けてしまう。北国では、溶けずに雪が残ることを根雪というが、その根雪になる

          午前二時、踏切にて

           厳寒の冬がやってきた。僕の故郷と異なり、数年前まで新天地であったこの地には、ホワイトウィンターが存在しない。冬のこの寒さは人に寂しさを誘起させる。かく言う僕も今、名状し難い寂しさというものに襲われている。それは、突然、僕の中で僕の心を蝕んでいく気がしている。  今近所を散歩している。冬夜の凍てつく空気は僕の口から体の中に入ってきて僕を体の中から冷やしていくけれど、この冷たさは僕には心地が良い。街灯が少ないために暗いこの路地も今日は月明かりに照らされて綺麗な気がする。僕の故郷

          CcaAfFFfEee???

           この時間になると必ず僕はカフェに行く。学生の僕の本分は勉強であると、僕は疑ったことがなかった。とにかく大学に入学したのだから、今目の前にある学問について勉強するべきであった。その後のことに生かせないから勉強しない人がいるが、それは僕を、学生を学生たらしめている大きな要素を欠如させ、大学へ行った意味を喪失させる愚行であると考えていた。カフェは、勉強するための空間であり、それ以外の何者でもない。  店の中に入ると、今日は珍しく人が少ない。でも、その各人に対して、妙に目に付く要

          山手線と都会と僕

           都会ってなんだろう。どこまでが都会で、どこからが田舎なのだろうか。  東京に来てもうどれくらい経っただろうか。初めて東京に来た時の記憶は、鮮明に残っている。飛行機を降りて京急線に乗った。そして品川駅に着くと、新宿を目指して山手線に乗ろうと思った。山手線のホームに着くと、カルチャーショックを受けた。札幌でも確かに満員電車というものは存在したが、東京の満員電車は頭ではわかっていたがレベルが違った。ホームに人が入りきらない。溢れる人混みの中、各人はそれぞれ自らの力で電車に乗り込ん

          海の意味

          「海の意味って考えたことある?」  森園加奈は、僕に向かってそういった。  僕は今、海に来ている。故郷の海だ。この海は僕たちのスピリチュアルな意味で支えてきた大きな存在だ。海という空間的つながりは、外部への憧憬をよく育てた。その反面、この海には神聖な何かが住んでいると言うようにここの住民は思っている。当然僕もその一人であった。 「え? 海の意味?」  僕は、言葉によって覆面された彼女の真意をはかることができなかった。聞き返すと、彼女は寂しそうな顔をしたのをよく覚えている。