相反する欲望: 幸福と充足のパラドックスを探る

 人によって見えている世界は違う。僕の友達だって、本来なら「彼」と称するべき彼女から見た世界は、僕の見えているそれとは違うだろうし、僕よりも遥かに生まれの良いいわゆるエリートの彼からみたら、僕の世界なんて凡庸そのものだ。
 僕の思想として、世の中のほとんどが「阿呆」であり、僕もその一員、近世から何も日本は変わっていないというものがある。その点で、僕は近代以降「国民化」されて人として振る舞うことが許された「猿」であると自認し、またそれが現在日本の平均的存在であると嘆いていた。しかし、最近その自分の確たる思想、認識がさらに歪んでしまった。

 人生で追うべき指標というのは一体何であろうか。幸せ?名誉?今風にいうとこれはMECEではないし粒度感もあっていないと言うことになるが、一般的には「幸せ」を追うことが人生の第一義であるとされる。僕は、その認識を信じて疑わなかった。日本の社会構造的に、本来のエリートとエリート風の人間というのがあり、僕はそのエリート風になることで、社会的な名誉を得て、このたまたま生を享けた土地である日本という島国に尽くしたいという気持ちが強かった。しかし、この「欲求」はかなわない。ならばお金を稼ごうと、1番自分の中でお金を稼げる可能性が高い方法を使って、今それを目指している途上である。そうして僕は、自分が理性的存在でありたいという、いわば模倣的な欲求をもって幸せとし、そうでないならば自分のケイパビリティを超えない範囲で経済的に上位に上がろうとしているのだが、これは幸せなのだろうかという疑問が出てくる。

 欲求に関するかの有名な学者マズローによると、人間には段階的な欲求があるとする。日本においては、このほぼ全ての欲求が満たされ、そして。「承認欲求」と「自己実現欲求」が残り、それが最大の人生の指標となる、という人が多いのではないかと推測される。僕の場合、この承認欲求とは、自分が「理性的」であると他者に認められたい欲求で、自己実現欲求は極論叶わないので、自分のケイパビリティを超えない範囲での優位性を獲得するというものを実現したい自己として認識し、それを満たす努力をしている。しかし、実生活においては、これが全てではないようにも感じないだろうか。ここで一つ僕の話をさせてほしい。

 先述の通り、僕は凡庸の人間である。おそらく学力や頭の良さは平均的で、現在の収入や実力も平均的、身体的能力や顔面偏差値も平均的である。そして、「国民」として教化された僕は、その意味で「平凡」であると自負していた。それは欲求、性的指向、その他全てにおいてもである。
 しかし、ある人に出会ったことがこの認識が轟々と崩れ去っていく始まりだった。そういう意味では平凡でフラットな人間だと思っていた自分が、変質していく(元々そうだったのかも知れず、そのような性質が発現したと捉えられなくもないが)一端を担った女性があった。その人は僕と過ごしている環境も何もかも違う。考えていることもおそらく違うのかもしれない。(僕も感情的であるが)彼女は非常に感情的で、頭も悪い。人間性が優れているわけでもないただのクズだ。しかし、顔はとてつもなくよく、話は面白いという典型的な水商売の女だ。僕は、その女性を最初に見た時、確かに可愛いと思った。確かに話が面白い人だと思った。ただ、なんとなくそれだけでは説明のできない何かを感じ取ったということもあった。意識的ではなかったが、僕はそのとき酔っ払って「一目惚れをした」と言い放ったらしいが、当時の僕はそのようなことを認識しているわけではなかった。諸事情があって、彼女に対して強制的に口説かなければならないという状況になった。初めは彼女の存在価値は顔しかないと思っていた。しかし、それは違った。他の人にとってはそうかもしれないが、僕にとっては違った。僕が認識していない何かが発現してしまったのかもしれない。
それが、マズローの話につながる、欲求ということだった。

 人生で追うべき指標が幸福なら、ある程度人生において欲求がどれくらい満たされているかという指標は必要になる。今までそれなりに恋愛をしてきた。このnoteでも、高校時代に恋焦がれた女性、大学時代に付き合っていた女性とそれなりの恋愛だ。しかし、そのどれもとは違う。全てが満たされるのだ。その人と話すだけで満たされるその感覚、もしその人と交際するのが叶うのであれば、彼女の沼に僕がハマってしまう。そう思うと非常に恐怖だが、そろそろその具体的な中身を話すとしよう。

 マズローの次に出てきた欲求に関する研究者としてマレーが挙げられる。彼は、その欲求をさらに39種類に分解して紹介した。この欲求の粒度感がこの状況を説明する概念として相応しい。その欲求は、次の通りだ。

生理的欲求
 欠乏から摂取に導く欲求
 吸気欲求、飲水欲求、食物欲求、感性欲求
 膨張から排泄に導く欲求
 性的欲求、授乳欲求、呼気欲求、排尿排便欲求
 傷害から回避に導く欲求
 毒性回避欲求、暑熱・寒冷回避欲求、傷害回避欲求
社会的欲求
 物質に関する欲求
 獲得欲求、保存欲求、秩序欲求、保持欲求、構築欲求
 野心・向上心に関する欲求
 優越欲求、達成欲求、承認欲求、顕示欲求
 自己防衛・保身に関する欲求
 不可侵欲求、屈辱回避欲求、防衛欲求、中和欲求
 支配・権力に関する欲求
 支配欲求、服従欲求、同化欲求、自立欲求、対立欲求、攻撃欲求、屈従欲求
 禁止に関する欲求
 非難回避欲求
 愛情に関する欲求
 神話欲求、排除欲求、養育欲求、保護欲求
 遊戯に関する欲求
 遊戯欲求
 情報に関する欲求
 認知欲求、証明欲求

 これらの欲求がマレーの語る欲求39種類である。僕の場合、服従欲求と模倣欲求が強い傾向にある。そして、模倣欲求は自分に対して、「理性的な自分」を求める。そして、この主要な欲求は、自分の最も近しい仲の友達で満たされている。ここにおいて、その友人との関係性がなぜ長く続くのかというのは、その欲求が満たされており、尚且つそれの相性が良いということがここからわかるが、それは今回の本題ではない。その彼女は、他の欲求を全て満たすことができるのだ。彼女は可愛い、それは僕にとって性的欲求等を満たすこととなり、そして、演技であろうが本当であろうが、愛情に関する欲求は全て満たされ、そしてクズであるが故に承認欲求等が満たされ、その彼女に服従することで服従欲求が満たされ、クズの沼にハマっていく自分をみて、屈従欲求を満たすことができ、そして、その人と僕は性質的にも相性が良い。この状態で沼にハマる感覚を抱かず、恐怖感を抱かないものはいないだろう。

 自分が怖い。そんな知らない自分があったなんて怖すぎる。でも満たされている自分がいて、理性的にはそんなリスクは取れないはずなのに、連絡が来ないとムカついてしまう。自己実現的な「模倣欲求」とその他の欲求が僕の中で対立していて葛藤を生む。しかし、彼女の方が僕にとっては快楽的で、最近仕事にも手がつかない。まるで麻薬だ。こんなものを知ってしまったら、何が幸せなのか分からなくなる。自分が嫌った、欲求で生きる人間。僕はそれに同族嫌悪していただけにすぎないのか。今までの自分は、今まではなんだったのだろう。

 そして、今日も眠れない。起きると正午すぎで、仕事にも手がつかない。しかし、LINEが来る。返信をする。そしてその返信で一喜一憂している。そんな、訳もわからない状況を僕は、受け入れたくない。

受け入れたい。

受け入れたくない。


そんな僕は、彼女に今日も恋をする。

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