帰り道がちょっと寂しい場所へ
社会人になって初めて、まるまる10日間を地元、岩手で過ごした。ゴールデンウィークの話である。今更感はあるけれど、5月が終わらないうちに10日間を振り返ることにした。
4月下旬から始まったゴールデンウィーク。10日間で、満開だった桜は散ってしまったし、平成がおわり、令和になった。連休初日の朝、岩手には季節外れの雪が積もったと、母から写真付きのラインが届いた。降っただけならまだしも、積もったのか。
行きの新幹線の中、その写真を眺めながら心を弾ませる。数ヶ月に一度のペースで帰っているというのに、いつも帰るのは楽しみだ。夕方、地元に着いた頃には、雪はすでに溶けてしまっていた。
その日の夜は、母は仕事で帰りが遅かったため、父とふたりで夕食をとった。古くて狭い実家の居間で、父といっしょにホットプレートで焼き肉を食べた。なんの話をしたかはあまり覚えていないけれど、じゅうじゅうと焼ける、スーパーで買ったであろうお肉がおいしかったのを覚えている。少食の父も「おいしい」と言いながらたくさん食べていた気がする。部屋の中はもくもくと煙たかった。
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10日間の中でも印象的だったのは、元号が変わる日だった。自分が生まれた時代がおわるのは、なんとなく感慨深い。実家の自分のへやの中で、幼い頃のプリクラや歴代のガラケーを発見して、まるで小さなお宝を発見したようにひとりで感動しながら、だらだらと、ふだんと何も変わらない一日を過ごす。
24時が近づくにつれてそわそわして落ち着かなかったが、平成はあっけなくおわってしまった。元号が変わる瞬間は、テレビを見ながらコタツに入っていた。5月にもなってコタツ?と言われそうだけれど、東北の人はまだ出している人も結構いると思う。「明日の朝は霜が降りるかもしれません」と県内ニュースが流れるほど、朝晩はまだまだ冷える。
そばでまどろんでいる愛犬に「時代をまたいだ犬だね~」と言ってみたけれど、「知らん」という感じでそっぽを向かれてしまった。テレビの向こう側とは対照的に、現実味もなく、ひとつの時代がおわった。
平成がおわる夜、父と母それぞれに、「平成でいちばんの思い出は?」なんて野暮なことを聞いてしまったのだけれど、ふたりとも、わたしと弟が生まれたことだと言い、懐かしそうにその当時のことを教えてくれた。
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10日間、いろんなことをした。母とエステに行ったり、いちご狩りに行ったり。学生時代の友達と遊んで、会っていなかった時間のことを話したり。毎日犬の散歩に行って、いっしょの布団で眠ったり。
全然あっという間ではなくて、ゆるやかな空気が流れていた。岩手の空気が好きだ。鳥の声しか聞こえないほど静かで、土や草のにおいがして、散歩をすれば、すれ違う人とあいさつを交わす。
いつもは無意識に早足になったり、ささいなことでイライラしてしまったりもするけれど、故郷の空気に包まれると、やさしく、穏やかでいられる気がした。
「また、帰ってこよう」
当たり前だけど、そう思った。
その間、家族には健康でいてほしいし、友達には楽しいことがたくさんあってほしい。帰省するたびに年老いていくのが目に見える愛犬には、元気なまま、ただ、また会いたいなと願う。
そんなことを思いながら、帰りの新幹線はいつもちょっとだけ寂しくなる。その寂しさが、なんだか愛おしく思えた。
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