見出し画像

中村哲さんの本質とは 

読書と言ったとき、父がぼそっと「オレは活字を読むのが苦手なんだ」と言ったのを思い出す。

とても読書好きとは言えなかった私は、いつしか父の言葉に影響され、「私も活字が苦手なんだ。だから読書ができないんだ」と決めつけていた。

英語の試験を受けても、他は至って普通なのにリーディングだけがいつも驚くべきほど悪い。でも、ハマった本もあった。高校生の頃は「ダレンシャン」(たしか少年が蜘蛛になる話)を全巻読破した。それも驚くべきスピードで。

それからかれこれ20年。32歳になった今日、読書にコンプレックスを抱えていた私はある事実に気づいた。

それは、私は読書が苦手なのではなく、面白い本でないと読み進めることができないということ。読むことは頭を使う。なので、例えば公的書類や細かい説明書、長い論文などは読むことができないというより、興味がないので、「無理しないと」読めない。一方で、それは読むこと自体ができないというわけではない。要は中身が面白ければ、私は読書好きと言えるのだ。

そのことに20年越しに気づかせてくれたのが、この本だった。

作者の丸山氏についての情報は少なく、検索しても生い立ちなど見つけることができなかった。しかし、物事の本質を掘り下げて文字にすることのできる素晴らしいジャーナリストだと尊敬した。

中村哲とは

本書の「あとがき」で、この本で中村哲を突き動かしているものが何なのか、結局分からなかったとあり、筆者もそのことを残念に思っていた。しかし、本書を通して、その答えはあちこちに散りばめられていた。本書は、余るほどにその答えを書き記している。

それは、イエス様の愛である。

驚くほどに、中村哲さんの人生は愛と仁義と絶え間ない努力に溢れていたと思う。

カンタベリーで出会った99歳のNaotakaさん

福岡ご出身で、奥さんは中村哲さんのことを「哲ちゃん」と呼んで親しんでいた。中村先生と同じ教会にご夫婦で通い、奥さんのAsakoさんは中村先生の藤井健児牧師に洗礼を授けられた。

私は昨年7月、ミッショナリーとしてイギリス カンタベリーに来てから、「えみに紹介したい人がいる」と言って、1925年生まれのNaotakaさんをご紹介いただいた。Naotakaさんの家を何度かお伺いさせていただき、生い立ちやクリスチャンとしてのあゆみ、前年に亡くなられた奥様Asakoさんのことなどたくさんお話しくださった。そんな中、Naotakaさんの家で目に留まったものが、ペシャワール会の月報であった。「もしかして、中村さんのことご存知なのですか?」と尋ねると、同じ教会に通っていたという。

そんなNaotakaさんが、40年間住まれたカンタベリーを離れ、ロンドンへ行かれるということで、たくさんの日本語の本を頂いた。その中で多くの中村哲さんの本があった。そのうちの一冊が、この本である。

私は中村さんを心から尊敬していた。上海で勤務していた2019年、中村さんの訃報を聞き、すると上海に住むアフガニスタン人から中村さんへのお悔みとお礼のメッセージを受け取り、涙が滲んだのを覚えている。

鹿児島に講演会に来てくださったときは、大学の自主ゼミの先生に背中を押され、花束をお渡ししたのを思い出す。小柄な、でもその身体では表現できないほど、大海のような愛に溢れていた方だった。当時私はクリスチャンではなかったが、平和学を学んでおり、開発のみならず平和学の視点からも中村先生を尊敬していた。

でも、根本にあるもの、そう、この本の問いかけでもある、「何が中村哲を突き動かしているのか」という疑問について、分からなかった。

イエス様を信じてから、中村哲さんがクリスチャンであったことを知り、イエス様のことを、中村哲さんのことをもっと理解できた気がした。いや、中村哲さんは、イエス様を語ることなしに本質を理解することができまい。36年間に渡りパキスタンとアフガニスタンで医療活動を行い、そして「100の診療所より1本の用水路を」と全長24・3キロの水路を作り、65万人の命を救った中村哲さんを突き動かしていたものは、イエス様の愛であった。

公私混同に厳しく自らの生活費は日本に「出稼ぎ」医者として定期的に働いて蓄え、寄付金、政府からの支援金の全てを現地の活動に投資した。そんな活動を支えていたのは、福岡市を拠点としてまた完全ボランティアとして働かれる「ペシャワール会」であった。

ペシャワール会で働く方々の中にクリスチャンがいるのか分からない。でも、信者ではなくても、縁の下の力持ちの方々が中村さんの活動を支えていたという事実がある。そして、アフガニスタンにモスクまで建ててしまった中村さんが、私たちクリスチャンに無言で残してくださったメッセージはあると信じている。

中村さんが私たちに伝えたかったのは、イエス様の愛、そのものであった。そこに宗教の分け隔てはなく、どんな人も見捨てずに、福音を伝えるというイエス様の愛があったと思う。

聖書の中で、ユダヤ人でない私たちはいわゆる異邦人であり、「外部の人間」である。そんな私たちにも、イエス様は哀れみ、慈しみ、福音を伝え受け入れさせてくださった。実際に、聖霊が私に臨まれ、私はイエス様を信じた。30年間、仏教徒だった私に。

だから私は言うことができる。聖霊様はいらっしゃる。イエス様は、生きておられる。そしてイエス様の愛を受け取った人たちは、世の中では不可能と言えることを成し遂げることができる。そう、中村哲さんが成し遂げたように。

イエス様の愛を、慈しみを、イエス様から頂いた力と勇気を、中村哲さんはその生涯に渡って示されたのだと思う。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?