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天使の羽音

 もともと彼女は、女優というより霊媒ないしは巫女に近く、役柄を演じるというよりは自らの肉体にそのキャラクターを憑依させるぐあいであった。いつもそういう芝居をした。だから誰しもがその非凡さは認めたし、天才と呼ぶ人ももちろんいたが、いわゆる「演技派」とか「うまい役者」といった評価とははっきり一線を画していた。監督や演出家、あるいは同業の俳優の中に、「あの人とだけは組みたくない。」と公言するひとも少なくなかった。アンサンブルをかき乱され、作品が別物になりかねぬからだ。しかしやはりその強烈な存在感は余人をもって代えがたく(なにしろスクリーンの片隅に彼女の姿が映っただけで、画面がいっぺんに緊張感を帯びるのだ)、関係者のあいだにも熱烈なファンは多かった。
 そんな彼女が、27のとき、流星が降りそそぐがごときオファーをぜんぶ断って一人芝居をはじめた。小さなライブ会場を借り切り、かぎられた観客の前で3時間半ほどの興行を打つ(念のため言うが、たった独り、出ずっぱりで3時間半というのはそれだけで離れ業である)。原作はギリシア悲劇であったりシェイクスピアであったりチェーホフであったり三島由紀夫であったりしたが、演出はつねに彼女じしんで、元のせりふを大幅に刈り込んだり付け加えたり改編したりしていたために、ほぼ彼女のオリジナルといっていい出来になっていた。ただしその演出手法はさまざまで、たとえば徹頭徹尾オフィーリアだけを演じてそれだけで背景に聳える「ハムレット」の世界像を浮かび上がらせることもあったし、「桜の園」に登場するキャラのほとんどすべてを一人で演じ分け、演じ切るということもした。「なぜこのような試みを始めたのか?」という演劇雑誌のインタビューに対し、「他者はいらない。ひとりで世界を創りたいの。」とこの頃の彼女は答えている。
 異様な強度を漲らせた舞台は、国内はもとより海外からの注目を集め、彼女は海をわたって興行を打った。西欧および東欧におけるキリスト教文化圏の諸都市の多くを経巡り、各地で喝采をあびた。しかし国際的な評価が高まるいっぽう、日本での彼女のポジションは日を追うごとに微妙になった。カルトじみてきている、というのが理由であった。手記や発言に、「天使」というワードが頻出するようになったのである。「自分は芝居をしているんじゃない、ただ天使と踊ってるだけ。」とか、「わたしは7歳ではじめて舞台に立った時から、ずっと耳元で天使の羽音を聴いてたわ。」とか、そういった具合である。どうやらそれが、レトリック(修辞)ではなく本気らしいということで、あれってちょっとヤバいんじゃない? という空気が広がり、国内においては、彼女は敬して遠ざけられる存在となった。早い話がアンタッチャブルだ。

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749字

いくつかの短篇といくつかの詩。

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