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260.大橋 和さんのワークショップ ~Woman~ を体験しました

体験する。
体感する。
その「ヒーリング」。

(体感は、過去も未来も「今」に連れてくる)
(今、ヒーリングが起きることで、過去も未来もヒーリングされる)

その世界は幾層にもなっていて、準備ができた場所まで、ひらかれることを体験した。
一度目のワークで思い浮かばなかったことが、二度目にやると、現れてくる。
制限がはずれていくと、次々に、なだれこんでくるのではないかと思われた。

すごい世界の入り口の前に来たことを感じている。

(本文より)

************

「Woman」というワークショップを体験した。

4月の第1週目から第3週目まで、毎週日曜日の朝10時から13時までの3時間。
たくさんの自分の反応に出逢った。

自分の中にある「二つのサイド」を、さまざまに体験した。

「二つのサイド」とは、月と太陽、女性性と男性性、潜在意識と顕在意識……といったもので、その二つの世界の象徴的な感情や思考、行動の体感。

それは、主宰の大橋 和さんのウェブサイト「ヒツキアメツチ」の言葉をお借りすれば、

〈世界共通の原初の言語である「イメージ」を用いた、まさに啓示を受け取るようなドリーミング(夢見)のテクニック、13世紀まで遡るThe Kabbalah of Light(光のカバラ)の系譜に基づくSaphire® practice〉

の手法によるものだった(そうだ)。

【1週目】

(そうだ)と書いたのは、やっているときは、わけがわからなかったからだ。
何も知らずに参加して、わからないまま飛び込んだ世界は、初心者も熟練者も、同じトロッコに乗り込んでいて、ワークが始まると、ガタガタ揺れるトロッコから、降りることもできずに運ばれていく。

このときは、まだ、しっかりと顕在意識の領域にいる私の持つ思考の癖や「正義」といったものが優位なので、戸惑い、混乱し、状況を受け入れられず、どうしていいかわからず、攪拌されたまま終わった…… というのが1週目だった。

(別の星に来たみたい)

というのが実感だった。

参加しているみなさんのシェアは、別の国の言語のよう。

(間違えてやってきた)

とも思った。

しかし、〈間違えて導かれる〉ことなどない。

2周目のワークが始まる5時間前(朝5時)に、LAS式ソウルコーチ同士の早朝セッション会があったので、グラウンディングして自分とつながり、体験や感情を伝えていると、不思議と本質がひもとかれていった。

(何に私は混乱しているのか。なぜアウエイな気持ちなのか)

コーチに話すうちに見えてきたのは、

〈まず「論理」でわかりたい〉という欲求が、自分にあるということだった。

それが満たされず、解決しないまま、未体験のイメージワークが始まったことに、たぶん、最初は「怒って」いたと思う。

次に感じはじめたのは、ほかのかたと自分を比べること。
できない自分に「劣等感」を感じ、いたたまれなくなること。
シェアのときに、「ほかのかたの光になるようなことを言いたい」、とか、「すごいなって思われることを伝えたい」とか、まわりが気になってしまっていること。

そのことに気がつくと、

(ちがう!)

とわかってくる。
シェアは、自分が体験したことを、ありのままに伝えるもの。
どんな体験も、誰にもジャッジされない、尊いものであること。

そのことがわかったら、気持ちが楽になり、ワークが楽しみになってきたのだから、LAS式ソウルコーチの存在は、しみじみすごいと思う。

そして、気持ちが前向きになると、1週目のワークの時に引用されていた「ペルセポネ」のギリシャ神話について、知りたくなり、調べる気持ちが湧いてきた。

すると、日本神話のイザナミとイザナギの神話や、天岩戸の神話にもつながるものを感じ、山下弘司先生のもとで、数年前から研鑽を深めてきた「ひめ神」の中にみる女性性と男性性が、さらに豊かなものになる気配を体感した。

【2週目】

そういう気持ちで臨んだ2週目は、わけがわからないままトロッコに乗っていることに変わりはないものの、その振動も、吹いてくる風も、流れる景色も、音も、自分の感覚として味わえるようになり、シェアのときも、ものすごいとしか表現できない、素晴らしいシェアをしてくださるかただけでなく、「なぜか寝てしまいました」「前半の記憶がありません」「イメージできませんでした」などというシェアをしてくださるかたがいて、

(ありのまま、そのままでいい)

という気持ちに応援をもらったようで、どんどん楽になっていった。

すると、「イメージワーク」は、私にとって、未知の世界ではなく、実は、出入り自由な扉だったことに気がつく。

それを制限しているものが、「顕在意識」の領域にある、さまざまなブロックだということも。

こうして、混乱と攪拌でしかなかったイメージワークは、安心・安全に守られた場で、信頼できる誘導により、思う存分、扉の向こうを体験して戻ってこられる時間となった。

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【3週目】

当日の朝、とても、象徴的な体験をした。

ふだんは、寝ているときにみている「夢」の記憶がない状態で目覚めることのほうが多い。
ところが、3週目の朝、「夢」のからだと、起きているからだに移行する意識を体験した。

最初に視えていたのは、たくさんの「葉っぱ」だ。
先が、「ハート」の形にかじられている。

近づいてみると、葉っぱの上に、2~3ミリくらいの小さなアオムシくんみたいなものが、数匹うごいていた。

(食べたあとがハート型って、すごいな)

と思って、まわりをみわたすと、左横の葉っぱに、一段と大きなアオムシが乗っている。
ツノがある、独特のそのかたち。

ただ、それをみている自分。
感じている自分。
大好きな葉っぱに囲まれ、むしゃむしゃ食べている至福。
そんなもの。
なにも境界のない世界。

***

(写真を撮らなきゃ)

と、ふいに思った。

(このことを投稿しなきゃ)

と。
そして、スマホはどこだろう…… と探し始めたところで、目が覚めた。

しばらく、夢でみていた世界を味わっていた私の中に、むくむくと湧いてきたのは、

(この夢には、なにか意味があるのだろうか?)

という想いだ。

猛然と起き上がり、スマホを片手に、「幼虫 夢」で検索をはじめると、アゲハの幼虫には、特別な意味があることがわかった。

アゲハの幼虫にもさまざまな種類があることがわかると、自分が夢で見た幼虫が、どのアゲハなのかが気になり、たくさんのアゲハの幼虫の画像を見比べ、「クロアゲハ」だということを突き止めた。

その間、ずっと、思考と指が動き続けていた。

まさに、ワークショップで教えていただいた、

「夢」と「現(うつつ)」の領域。
「昼」と「夜」の領域。
「潜在意識」と「顕在意識」の領域。
「月」と太陽」の領域。

を体験したのだと感じた。

夢の領域、潜在意識の領域、月の領域では、自分がどんな形をしているか、自分が何者であるか、なんのためにここにいるかなど、まったく気にならず、ただ、受容し、体験し、満たされ、境界線がなく、うつろいゆくことにオープンで、静けさの中に在る。

ところが、現の領域、顕在意識の領域、太陽の領域に移行すると、人からどう見えるかや、ものごとに意味付けが必要になり、自分が何者であるか、どうなっていくのかに一喜一憂し、常に足りないものを補うことに忙しく、心も身体も休まることがない。

(そういうことなのか)

と、感じた。

(自分に安寧をもたらすのは、どちらの領域なのかということも)
(大いなる無限の力と一体なのは、どちらの領域かということも)

ワークショップで繰り返される、イメージを使った短いワークは、起きていながら、夢の世界を体感できる扉なのだと感じた。

体験する。
体感する。
その「ヒーリング」。

(体感は、過去も未来も「今」に連れてくる)
(今、ヒーリングが起きることで、過去も未来もヒーリングされる)

その世界は幾層にもなっていて、準備ができた場所まで、ひらかれることを体験した。
一度目のワークで思い浮かばなかったことが、二度目にやると、現れてくる。
制限がはずれていくと、次々に、なだれこんでくるのではないかと思われた。

すごい世界の入り口の前に来たことを感じている。

誘ってくれたのは、名前が鏡文字みたいな、なみえちゃん。
ありがとうございます。

今日は、12時から大橋和さんのリトリートに参加します!
また、報告させてください。

浜田えみな

ワークショップの概要

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庭の金柑の木には、いつもアゲハが育ちます。
見かけるのはナミアゲハのようですが、今年は、注意してさがしてみようと思います(^^)

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