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498.【介活】ショートステイ契約に至る経緯と『野性の女を呼びさますお話し会』

だけど、決めれば変わる。
選択することの一つ一つを、きっぱり決める。目的も。境界も。限界も。
 
すると、本当に、変わってきたのだ。とりまく状況が。
〈風が動いている〉と感じる。
「野性の女」へのイニシエーションだ。
 
(本文より)

 
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◆自宅介護の限界を感じる

認知症の父の転倒防止の手すり工事に伴い、施工後のセメントが乾くまでの期間、ダメもとでショートステイにチャレンジしようと決めてからの2週間。
今後の施設入所のことも考え、ケアマネージャーのOさんから、近隣のグループホームや、有料老人ホーム施設一覧をいただいたのに、まったく何もしなかった。

いや、まったく何もしなかったわけではなく、あまりにも急速に自立歩行ができなくなっていくことに衝撃を受ける中で、「レビー小体型認知症」の症状である「パーキンソン症状」に思い当たり、急遽、認知症の主治医に連絡をとり、代理受診で薬を処方してもらい、父の家の中の移動が楽なように、手すりの代わりになるものを配置した。

だけど、「ショートステイに関する行動」を、まったくしなかった。
なんとなく、「薬を飲んだら、じょじょに運動機能が戻ってきて、歩けるようになる」と、楽観的に考えていたのだ。

何年もお世話になっているデイサービスでさえ、突然、不穏になり、攻撃的な言動などで、午前中に帰宅してくることがある父の性格から、【自宅以外の場所に泊るなんて、到底無理】だとあきらめていたし、おそらく大興奮状態で夕方に戻され、凶暴化しているだろう父と、朝まで過ごさなければならないことを思うと、気持ちが萎えてしまい、心も身体も動かなくて、先延ばしにしていた。

そもそも、父の介護をすることで、私自身の生活が制限されていることや、夫や子供たちと築くべきことがたくさんあるのに、そのあたりの感覚が、すっかり麻痺していて、ふりかえれば、8年近く単身赴任をしている。

そのあいだに、息子は社会人になり巣立ってしまい、娘も来年社会人になる。
娘が家を出た後、夫がひとりで暮らし、私が父と暮らすのは、家族のバランスとしてどうなのかと、ここにきて夫も私も考えている。

わかっているけれど、すべてを曖昧にしたまま、施設をしぼりこむことから逃避していた。
グループホームや、特別養護老人ホームや、老健施設や、有料老人ホームの違いも、あまりよくわかっていなかった。

見学は、Oさんを通して施設の担当者に声をかけていただき、日程調整すれば可能とのことで、まずは夫の車で、家に近い幾つかの施設の〈外観を眺めてまわる〉という、今思えば、何の役にもたたない、ごっこ遊びのようなことをして、貴重な休日を使ってしまったのが、3週間目の5月26日。

帰宅してから調べると、ショートステイの定員は、そんなに多くないことがわかり(もっと早くに調べておけ、という話です)、6月下旬以降、受け入れが可能な施設を、Oさんに確認してもらおう、ということで、この日は終了。
全然進展していないのに、おしりに火がついていることにも気づかず、のんびりしていた。

ところが、そんな悠長なことを言っていられない事態がどんどん起こる。
父の足腰が、さらに弱ってきた。

ベッドから起きられない、座った姿勢から立ちあがれない、玄関から廊下への段があがれない……という事態が頻発するようになる。

しかも、自分ではできないのに、私の言うことをきいてくれない。
ここを持ったら? とか、こんなふうにしてみたら? とか、本や動画をみて覚えたことや、状況から判断して父に声をかけるのだけど、もともと人の言うことをきかないゴーマイウエイな性分なので、父が思うように動いたあげく、さらに手助けできない(どうやっても起こせない)状況になってから、なんとかしろと助けを求めてくる始末。

あるときは、玄関に腰かけた姿勢から立ち上がれず、奥の自室に向かうのに、「這って行く」と言い張って、止めても聞かずに四つん這いの姿勢をとり、ハイハイで進み始めたものの、少し進んだだけで「膝が痛い!」と叫び出し、フリーズ。

私も、ハイハイの姿勢を取ってみたけれど、腕の力もいるし、上半身を支えたまま、腕を前に出していくのは、かなり力が必要だと感じる。父は、足に比べると、腕は自由に動かせるし、筋力もあるので、本能的に腕で進む方法を選択したのかもしれない。

とはいえ、廊下で四つん這いの姿勢のまま、フリーズしている父にできることは何もなく、せめて、置き型のレンタル手すりに手が届くところまで這って行ってもらえれば、なんとかなるのではないかと思い、「あそこまで頑張って」と声をかける。

ようやく手すりのところまで来たけれど(距離にして1メートルもない)、そのままハイハイで寝室まで行くというので、それなら最後まで行けばいいと思って、後ろから見守る。
身長170㎝近くある大人だけれど、おむつパンツをはいて、ぐらぐらしながら一歩ずつハイハイをして、ほんとうに、赤ちゃんみたいに返っていくのだと思いながら。

ようやく、ベッドの下に着いたので、手すりにつかまって上にあがるよう、声をかけたけれど、もう疲れて嫌みたいで、「枕! 枕をくれ! わしが枕いうたら、枕くれ!」と怒鳴るので、頭に枕をセットする。布団で寝てほしいけれど、起こせないし、畳敷きなので、しばらく休憩させようと思い、上掛け布団をかけておく。

このあと、寝たままの姿勢で、「おなかすいたーーー!」と、ものすごい声で叫び出し、止まらなくなったので、上半身だけ起こして、その場でごはんを食べさせた。

いまのところ、少し時間が経過すると、ドーパミンが快復するのか、体力が戻るのか、動けるようになるので、無理に手助けせず、安全な状況を確保してそのままにしておき(それしかできない)、なんとかなっているのだけど、もう、無理だと思うことが増えてきた。

感情のコントロールができない父につきあうことに加え、排せつや運動機能の低下。

築50年以上の日本家屋は、どこもかしこも段差だらけで、仕切りも多く、歩行器が使えない。
住宅改修の承認がまだなので工事にかかれず、寝室からトイレに行くまでの道のりは、レンタルの手すりや、支えになるものが、飛び飛びに連なっている。

父が、次の手すりや、支えまで、伸ばせるだけ手をのばして、つかみ、よりかかりながら、全力で進んでいる様子は、水平のロッククライミングをしているかのよう。

それでも、なんとか、歩けるうちは歩いてほしいので、父が自力で進むのを、次の手すりの声かけをしながら見守っているのだけど、不自由な上に危ない。
いつか、転倒したり、力尽きてすわりこんだりする日がくると思う。

(そうなったとき、どうすればいいのか)

施設のほうが、ずっと安全で、動きやすく、適切に介助を行ってくれる職員の目と手がある、と感じるようになった。

◆『野性の女を呼びさますお話し会』

NPO法人 Umiの家 齋藤麻紀子さんが主催する、越地清美さん『野性の女を呼びさますお話し会』(オンライン連続講座)に参加している。

参考文献で使用する本のタイトル『狼と駈ける女たち~「野性の女」元型の神話と物語』を見た瞬間、身体を突き抜けた振動!

〈狼と駈ける〉〈野性〉〈女〉、これらの文字を目にした瞬間、言葉でなく衝撃として、頭ではなく、四肢のすみずみに、振動や感情が突き抜けた。

本文の中に、

〈どんな文化の影響を受けようとも、女は野性、女という言葉を直観的に理解する〉
〈太古の記憶がざわめき、蘇ってくる〉
〈骨の中でわたしたちは野性の女を知っていて、それに憧れている〉

という文章があり、そのとおりだと感じる。

お話し会は、自分の中で、ばらばらにされ、埋もれ、絶滅しそうになっている、野性の女の骨をひろいあつめ、魂をこめた歌で、あつめた骨に血肉をつけて蘇らせていく……という、継続コーチングセッションのように感じている。(お話し会のレポートをマガジンで連載中です)

各章ごとに、作者が収集した、女から女へ口承伝承された物語が紹介され、その内容がほどかれていき、音叉のように、自分の中に埋もれていた「骨」が反応し、目覚めていく。

たとえば、第3章の中で、このような文章がある。

【やさしく、善良であるからという理由で人生が開花するわけではないと知ること】
【ヴァサリッサは(継母家族の)奴隷になるが、それは何の役にも立たない】

これは、幼いヴァサリッサを残して、母親が病気で亡くなり、父親は二人の娘を持つ未亡人と再婚する。継母家族は、父親の前では仮面をかぶり、影では美しいヴァサリッサを妬んで、奴隷のようにこき使い、最後には恐ろしい魔女のところに使いに行かせて、あわよくば殺そうとするのだけど、やさしく善良なヴァサリッサは、まったく悪意に気づかず、幸せを奪われ続けている……という前半部分における解説だ。

その後、恐ろしい森の魔女 ババ・ヤーガの家で、ヴァサリッサの人生が開花する出来事が起こっていくのだけど、継母家族に使われ、命じられた労働をこなしているだけでは、事態は永久に変わらない。

講座の中で、この言葉が「耳から」入ってきたとき、8年近くも、自分の家族を崩壊させて、父の介護を続けている状況を、俯瞰することができた。

夫と子供たちと住む快適なマンションから、介護のために考えるまもなく移り住んだ、古くて不便な実家は、

(奴隷のように労働を強いられる継母家族の家なのか?)
(学びを重ねて、人生の開花につながるババ・ヤーガの家なのか?)

そのときに、主体は自分だとわかった。

「継母の家」にするのも、「ババ・ヤーガ」の家にするのも、「私」
私に足りなかったのは、「決める」こと。

なぜそうするのかという明確な思いや方向性を持たないまま、声を荒げない人が我慢をして、波風が立たないよう、低きに流れている状態は、いつまで続けても、何の役にも立たない「継母の家」。

だけど、決めれば変わる。
選択することの一つ一つを、きっぱり決める。目的も。境界も。限界も。

すると、本当に、変わってきたのだ。とりまく状況が。
〈風が動いている〉と感じる。
「野性の女」へのイニシエーションだ。

書籍の第3章で、

【雑事を通して、大きなもの、終期的なもの、予測つかないもの、思いがけないもの、宇宙の大きさの絆、奇異なもの、なじみのないもの、非日常的なものからひるんで逃げないことを、ヤーガは教え、ヴァサリッサは学ぶ】

というものがあり、「雑事」を「介護」に、「ヤーガ」を「父」に、「ヴァサリッサ」を「えみな」に置き換えたら、まさにそのとおり。

認知症で身体の自由が効かなくなった高齢者の介護は、予測がつかず、思いがけず、なじみなどなく、非日常的な事態と行動の連続で、特に排泄関係のあれこれは、ひるんで逃げたいことばかりだ。

さらに、すべての物語の共通事項として、

【話を構成する要素はすべて一人の女のこころを表象する】
【すべての出来事がイニシエーションのプロセスをたどっている魂】

ということが書かれている。
ヴァサリッサに憎悪の感情を向け、いじめる継母家族も、内面に存在するキャラクターだという。
このことも、介護において実感した。

最初はやさしく声かけしながら交換できる衣類やオムツパンツも、着替えおわった5分後にまた……とか、30分ほどの間に2回も……とか、しかも深夜から明け方まで何度も……とかだと、残忍な感情が湧いてきて、父の上がらない足を、手ではたいてしまう。おしっこで濡れた衣類を脱がせるのに、我慢ができなくなり、あからさまに手袋をはめたりする(ふだんは素手)。感情がむきだしになる。口から出た文句が止まらなくなり、言いたいことを全部言う。四つん這いの父がよろよろと進んでいくのを、ただ、後ろから見下ろす。

私は、もしかして、父にリベンジをしているのかもしれない、と思う。
子供のころ、理不尽な叱られ方をして悔しかったことや、一方的に父の理屈を押し付けられて、何の意見も聞いてくれなかったことの怒り、当時、ぶつけられなかった感情を、今、噴火させているのではないか?
だとしたら、ありがたいことではないのか?

(冷酷で、残忍で、迷いのない、怒りの権化である、「継母家族的要素」

その矛先が「父」であることに。
このプロセスが、「夫」や「子どもたち」に対してでは、ないことに。

そして、この残忍なエネルギーにも、「生―死―再生」のプロセスがあり、その方法もお話し会で学ぶ。
野性の女は、その力を持っていると。

父の介護が、新たフェーズに入っていく局面で、このお話し会に参加でき、こっしぃさんと仲間たちが伴走してくれることの奇跡。

◆ショートステイ契約に至る経緯


先日、言うことをきいてくれず、床に座り込んでしまい、私には起こせない状態になった父。
デイサービスの迎えの時間だったので、施設の人に家の中まで入ってきてもらって、父を立たせて、車に乗せていただくことができた。

庭先の石段に腰をかけ、散歩で通りかかった仲良しの犬と遊んだ結果、ほぼ三角座り状態になった父を、どうやっても起こせなくなったときは、一駅むこうの自宅にいる主人に電話をかけ、来てもらって、起こすことができた。

その後、薬の副作用なのか、あきらかに別のゾーンにいる父が、主人と私にわけのわからない説教を始め、ズボンだけでなく、上衣のすそまでおしっこでぐっしょり濡れている服を、がんとして着替えてくれず、腕を振り回して抵抗し、布団に入ってしまった父に対して、なんだかもう、急に気持ちが冷静になった。

あとどのくらい、こういうことが起きるのか。
いつまで立って動けるのか。
おしっこをいつまで自分でできるのか。

1ヶ月? 2ヶ月?
そう長くはないのではないかと思った。

(たかが布団)

そう思えた。
シーツは洗えばいいし、布団は干せばいいし、ファブリーズも大量に買ってある。
本人がおしっこまみれの服で寝るというなら、もうそれでいいのではないか。

(たかが頻尿)
(たかが昼夜逆転)
(たかが凶暴化)

永遠に続くわけではないのだ、と思う。
パーキンソン症状を緩和するためのお薬を飲み始めたばかりなので、副作用なのか、超機嫌が悪い父。めんどうくさいし、嫌だけど、感情の起伏が全くなくなる時期がやってくる。

頻尿も、そのたびに汚すので、かんべんしてくれと思うけれど、ネットで調べたところ、パーキンソン症状では、膀胱がふくらみにくくなり、すぐにいっぱいになるので、5分おきにトイレに行く人もいると書いてあり、父のせいではないとわかる。

いつまでも自宅介護は無理だと思いながら、ぐずぐずとショートステイ先を決めかねていたら、翌朝、Oさんがやってきて、とりあえず練習だから、安いところでいいよね? と、名簿の一番上にあった施設に電話をかけ、スピーカーホンで担当者と話を始める。向こうは、Oさんの勢いに押されて、しぶしぶという感じだったけれど、空きがないこともない、という微妙な状況なのをプッシュして、契約することに決めてしまった。

(ほんの10分ほどで!)
(びっくり!)

どんな施設かも知らないのに!
どこにあるのかも知らないのに!

Oさんが帰られてから、ネットで調べると、その施設は「特別養護老人ホーム」で、個室はなく、2人部屋か4人部屋。
父が馴染めるかどうかは、わからない。みなさんにご迷惑をかけないことを祈るのみ。

翌日、施設担当者とOさんがやってきて、契約の手続きをした。
父の様子は、デイサービスの施設に見に行くとのこと。

施設担当者との話で、わかったこと多数。
ショートステイの定員は6名で、そのうち男性は2名。
1名が週3泊4日の利用なので、それ以外の日は可能とのこと。ショートステイの最長期間は、30日なので、30日間預けて、1日だけ帰宅している人もいるらしい。

施設に預けてしまうのと、ショートステイ30日を繰り返すのと、どちらが安いのか? 
病気になったときはどうなるのか?
そのようなことを質問して、さまざまなケースを教えていただく。いろんな利用法があるのだと思った。

また、ショートステイに成功して、長期宿泊できるようになったら、そちらの施設に入所することは可能かどうかを尋ねると、待機している人がたくさんいるので、難しいとのことだった。

(げげげ)

週3泊4日のショートステイをしている男性は、残りはどのようにしているのかを尋ねると、もともとデイサービスに長く通っている人で、ショートステイをするようになったそうだ。
同じ施設なので、混乱もないそうだ。
認知症はなく、自宅には、奥さんがいて、奥さんの休養のためにショートステイを利用しているとのこと。

(なるほど)

デイサービスの施設を選ぶときは、先のことを見据えて、ショートステイや施設入所が可能なところを選ぶのがよかったのだと、痛感する。

待機の優先順位も、初めての利用者より、デイサービスやショートステイ利用者のほうが上がるのは当然だ。

ただ、父の場合は、朝8時に迎えに来てもらえる施設が条件だったので、仕方がない。

兎にも角にも、契約完了。

お泊りが無理だとわかったら、夕方、自宅に送り届けると言われた。
その場合も1回分の料金を全額支払うのかどうかは、尋ねることができなかった。
料金は、安いビジネスホテルに宿泊するくらいの価格。

感じたのは、施設に入所したら、父はすぐに歩けなくなるかもしれない、ということだった。

手すりや支えはいっぱいあるだろうけど、父がそれを使って、1人で歩くことはなく、長い距離は車椅子で移動、短い距離は手引き歩行をしていただくのだろう。
週3日のショートステイが可能になったとして、そのような生活をしていたら、自宅で一人で歩けるとは思えない。

(父の夜中のトイレのたびに、手引き歩行!?)

ショートステイを利用することで、戻ってきたときの自宅介護の負担が増えるのは、とても困る!

とはいえ、リハビリなどが受けられる介護老人保健施設(老健)だと、自宅介護に戻ることが目的の施設なので、終身利用はできない。

Oさんは、「寝たきりの介護は、ある意味、今より楽よ」と言ってくださるのだけど、そこに至るまでに転倒などで怪我をしそうで怖い。
つきっきりの生活も無理。
父よりも高齢な、義父母の介護も控えている。
夫と私の時間がもてないまま、お互いの介護に突入するなんて、ありえない。

昔ながらの三世代同居や、近所に親戚や知り合いが住んでいる、たくさんの見守りと連携がある中の、昔ながらの介護の尊さを、しみじみと思うけれど、そのような状況にはなっていない。

ともあれ。
1泊のお泊りができなければ、特養も老健も有料老人ホームもないのだ。

初めてのお泊り。実は本日です! お泊りセット準備済み。
父、頑張れ。

浜田えみな

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