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容赦ない優しさ


“あなたの優しさには容赦がありませんでした。”

映画「ユリゴコロ」の作中で最も心を打たれたセリフだった。

原作である沼田まほかるの小説はまだ読み途中で、3分の1ほどしか読めていない。

昔から小説の実写化を嫌う、いわゆる原作厨である私が、小説を読み終えてもいない段階で実写映画を観るなんて、自分でも驚いた。


何か映画でも観ようかなと、ぼーっとアマゾンプライムで良さげな映画を探していたら、ふと目に飛び込んできた読みかけの本のタイトルが、その日はなぜかどうしても気になってしまった。


観始めてすぐに小説と違う設定が少し気になったが、こんなものかと観ているうちに、気づけば夢中になっていた。まさに私が好きな類のストーリーだ。


幼い時から感情を持たず、人の死によって安心感を得られる、そんな美紗子が、過去に犯した過ちへの罪悪感と共に生きる洋介と出会った。その出会いが美紗子に普通の人と同じような感情を多く芽生えさせていく。

そんな展開の中で出てきたのが冒頭のセリフだった。美紗子は、洋介が自分に対して注ぐとめどない優しさに、不安さえ覚えていた。

何度も人を殺め、親しい友人もおらず、娼婦として暮らしてきた美紗子にとって、優しさや愛情は未知のものであったからこそ、それが怖かったのだと思う。



「容赦がない」という言葉は一般的に否定的な単語の後に続く。それを優しさに対する表現として使った美紗子にとって、他人から注がれる優しさとは、未知であるがゆえに恐るべきものだったのかもしれない。

私はこの表現に100%共感することはできないが、少しだけ分かるような気がした。

今まで生きてきて、他人の優しさに触れたことは幾度となくあった。しかし、その優しさの多くは損得勘定や無関心から来るものだ。嫌われたくない、良く見られたい、優しくしない理由が特にない。そんなところではないだろうか。

でも、ごく稀に、この人は何でこんなにも他人に優しくできるのだろうかと思うほど、膨大な優しさを持つ人がいる。それがどんなものかと言われたらうまく説明できないが、とめどない優しさだ。

そんな優しさに触れた時に、少しだけ怖くなってしまうことがある。こんな私になんで、と思ってしまうからだと思う。私はいい人ではないし、性格も良くないし、悪いこともたくさんしてきた。自分は汚れていると思うから、純粋で汚れを知らないような優しさに触れるのが怖いのだ。


だからこそ、とてつもない優しさを注がれた時に涙が出てしまうのかもしれない。そしてそれと同時にその優しさを否定してしまいたくもなるのが私の悪い癖だ。

心のコンディションが悪い時は特にそうだ。優しくされればされるほど、ひねくれてしまう。純粋な優しさだとわかっているのに、自分にはその優しさを受け取る資格などないと感じ、どうせ偽善だろう、そんなに優しくなれるわけがない、そんな風に思ってしまう。


だから、他人の優しさを恐れず、疑わず、素直に受け入れることのできる人間になりたい。そして、私も誰かに対して無条件の優しさを注げるような人間になりたい。


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